天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

パウロは偽使徒? 携挙の真偽(6)

パウロはイエシュアがエペソ人に対して言及していた偽りの使徒

20. パウロはイエシュアが、黙示録2:2でエペソ人が嘘つきとして拒絶したことを褒めている、正に偽りの使徒でした。パウロと彼の若い使徒見習いテモテが、偽りの使徒であるということを結論付ける、非常に説得力のある状況証拠がいくつかあります。

イエシュアは黙示録2:2で、エペソの教会をパウロを嘘つきだとして拒絶したことに対し、賞賛しました。この証拠は、黙示録が1世紀の終わり近くのAD96年頃に書かれたという虚偽により、歴史を通し、パウロを支持する学者によって押さえつけられてきました。

AD初期の「教父」であるエイレナイオスは、この嘘の源として最終的な責任を負っています。それ以来パウロの支持者たちは、彼の言葉を引用して言うようになっています。エイレナイオスはパウロの大ファンでした。彼はまた正確さとはほど遠い人物であることが示されています。例えば、イェシュアが50歳で十字架につけられたということも教えているなど。

さらに重要なことに、黙示録自体にエイレナイオスの主張を完全に否定する情報があります。11章でヨハネは、寺院が破壊されるのでそれを測るように言われていますが、私たちが知っているその破壊はAD70年に起りました。(AD96年に黙示録が書かれたとされるならば)測るべき寺院が残っていなかったので、恐らくその後の啓示を与えることはできなかったでしょう。この点は多くの学者にとって知られているものです。

さらにヨハネは、それを測定したその日から、ちょうど42か月で破壊が起こると告げられました。つまりヨハネは、AD67年の初めのネロの迫害の間に、黙示録の啓示を与えられていたということです。この日付を裏付ける古代の他の情報源もあります。(略)

AD67年の初めに、ヨハネがパトモス島でイエシュアによって訪問を受け、黙示録の啓示を与えられたことを理解した上で、以下のタイムラインに沿ってパズルのピースをあてはめていって下さい。

西暦61年

ペテロを除き、パウロはその時代から自分が使徒であると主張した唯一の人です。ヨハネは黙示録の中で、自分を識別するため、正当性のある称号さえも使用しませんでした。しかしパウロは何度もその称号を主張し、そのように小アジアのエペソ人にも自己紹介しました。(エペソの信徒への手紙は、AD61年頃に書かれたと一般に認められています。)

「パウロ、神の意志によるイエス・キリストの使徒、エペソにいる聖徒たちへ…」エペソ人への手紙第1章1節

西暦64年

数年後、エペソに滞在していたテモテに手紙を書いたとき、パウロはその若い使徒見習いにそこに滞在し続けるように命じ、自分の代わりに自分の排他的な教義を取り締まるように遣わしました。

「・・・あなたにお願いしたように、あなたは、エペソにずっととどまっていて、ある人たちが違った教えを説いたり・・・しないように命じてください。」 1テモテ1:3、4

同じ手紙の中で、パウロは「使徒」という称号に対して、エペソの人々が彼が嘘をついていると非難していることを明らかにほのめかすような言い方で、異常な防衛をしています。

「私は説教者と使徒に任命されました。私はキリストの中で真理を語っていて、嘘をついていません…」1テモテ2:7

質問:自分たちがそれで非難されたことがないのなら、どうして「私は嘘をついていない」のような言い方で、自分自身を守らなければならないのでしょうか?

パウロの自分を防御する物の言い方は、多くを物語っています。 恐らく彼は非常に高い確率で、エペソの人たちからパウロが使徒職について嘘を語っていると非難されていたのでしょう。

(つづく)

Yeshua and the Law versus Paul the False Apostle – Paul the False Apostle の中の「20 Facts That Prove Paul Was a FALSE Apostle」からの訳です。