H病院での証し(2)
私の証しは私にとっても、それが神さまのご栄光になるのか、ならないのか、判別がつかないような状態でした。
その語りたくない証しを私にさせるために、主はわざわざ私を起こしてくださったのです。だから私は、「主よ!それは駄目です。私にはそれはできません!」と拒絶したのです。そしてイエスさまを説得しました。
「主よ。あなたは私がこの証しのためにどんな目に会ったか、あなたがよくご存知です。私は噓を語りましたか?誇張しましたか?それはあなたが一番よくご存知です。むしろ私は人が疑ってはならないと思って、控えめに語ったくらいです。だのに人々は、あなたがそうすることのできないお方のように、私を非難しました。私は彼らの疑惑に満ちた冷たい眼を忘れることはできません。その同じことを今日、京都の集会でせよとおっしゃるのですか。それがあなたにとって何の益があるのでしょうか。」
私は机の上に手を延ばして、メッセージの原稿を取りました。「主よ、ここにあなたのお語りになった、大切なみことばのメッセージを用意しております。どうかこれを祝してお用いください。お願いです。」
しかし主は、私の心に、「あなたは、わたしに救われた証しをしなさい」と言われるのです。私は何度も言いますが、この御声と争って一度も勝ったことがありません。とにかく主はいつも、私が一番嫌がることを語られるのです。だから私はそのことが、自分の肉の思いではなく、主の語られる御声だと見分けることができるのです。
私はとうとう降参しました。そして手に持っていたメッセージを主の前で破り捨てました。もう、やけくそです。「その代わり、イエスさま、どうなっても知りませんよ。あなたの責任ですからね!」私はイエスさまにひと言いやみを言って寝ました。
本来ならば、私にとって千載一遇の絶好のよき日であったのに、私は行きたくない所に強制的に連れて行かれる囚人のような重い足取りで京都に出発しました。
H病院に二時半頃着いた私は、安静時間があけるまで集会場に入ってポツンとおしていました。私の気分はすっかりやる気を失っていました。やがて三時の安静あけとなり、病院内のスピーカーからチャイムの音とともに看護婦さんの声が流れてきました。
「各病棟の皆さんにご案内いたします。ただ今から集会場でS先生のお話しがありますから、ご希望の方はお集まりください。」
私はその院内放送を聞いて、「しまった!」と思いました。昨日、S先生から病院に着くと第一番に看護婦詰め所に寄って、私の名前を告げておくようにと言われたのを忘れていたのです。私の気持ちは支部を出た時から空白状態でした。
やがて集会場に十五名ほどの患者さんたちが集まってきました。そしてその人たちは、そこにいるのがS先生ではなく、不安と緊張で固くなっている私を怪訝そうに見ていました。
そして集会が始まりました。司会者の人がしっかりしていて賛美歌やお祈りをしてくれました。私はなるべく人々の顔を見ないように、あさってのほうを向いたまま証しを始めました。そして心の中では、「早く終わってくれるように・・・・」と願いつつ、無表情で証しをしたのです。まるで私が一人で空気に向かって話しをしているように、室内な非常に静かでした。人々の反応なんか見る必要もありません。その目は疑惑に満ちて冷たくなっているに違いないからです。そしてやっと証しが終わりました。相変わらず室内は静かなものでした。私にはそれが白けた静けさのように思えたのです。証しが終わったので、私はお祈りを始めました。
(つづく)