天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

雨を降り注ぎ作戦

人に神さまがおられることを証しするネタなんて特にないわ、といつも思ってしまうのですが、昨日こんなことがあったのでご報告します。

大先輩のクリスチャンに、あることをメールで相談したことがありました。すると返事に、「何か神さまの働かれたと感じる不思議があったら、神さまとイエス様に感謝をして下さい。」と付け加えられていました。これを見てなるほどと思いました。人から何かしてもらった時に、きっちり感謝するというのは、人間同士でも当たり前の礼儀です。ましてやそれが神さまともなると、至極当然なことだと思いました。

先日「主は、生きておられる」の本が自分の元に返ってくるという不思議なことがあったので、「これは神さまがして下さったことですね。ありがとうございました。」と声に出してお礼を伝えました。先の大先輩の話によると、こうして感謝を欠かさずにしていると、神様の不思議は続くということでした。

ところで最近「雨を降り注ぎ」実験をして、3回雨が降ってきたのを確認したので、この時も「雨を降らせて頂いてありがとうございました。」と、その都度神さまにお礼を伝えていたのです。「雨を降り注ぎ」実験とは何かというと、「雨を降り注ぎ」の賛美歌を歌うと、果たして本当に雨が降るのかということを確証する実験です。(※注「あなたの神を試してはならない」)

一番最初、在宅勤務中に、「雨を降り注ぎ」の賛美歌をさかんに口笛で吹いた後、強めの雨が降ってきたので、これはひょっとして・・・?と思ったのが始まりでした。

別の日にこの賛美歌を散歩中に歌ったら、次の日の明け方に1時間位雨が降りました。「神様、これはあなたがして下さったことでしょうか?」

さらに次の日、試しに昼の散歩時に「雨を降り注ぎ」を歌ってみました。すると強い風がびょーっと吹いてきたので、「これは期待できる」と思いました。果たして同日の夜中の12時頃、短い時間ではありましたが雨が降りました。「神様、これもあなたの業でしょうか・・・?」

これはいよいよ本物だぞと思い、昨日「雨を降り注ぎ」を、夜の散歩の時に他の賛美歌と共に歌ってみたのです。すると歩いている最中に、パラパラッと上から雨粒が。「来たな。」と思い、「降らせてくれるのは嬉しいけれど、ずぶ濡れになったら困るな。だけど神さまがして下さっているのなら、自分が散歩している間はどしゃ降りは免れさせてくれるはずだ。」と思いながら歩きました。

周りに傘を刺している人もチラホラいましたが、1時間近く要した散歩の最中、道路を軽く濡らす程度しか降らず、髪の毛が少し湿るくらいで、家まで帰って来ることができました。

時間毎の天気予報を確認すると、自分が歩いていた1時間は雨の予報が出ており、次の1時間は雨が止み、次の1時間からまた降るという予報になっていました。「確かに神さまは自分が歩いている間、雨が降るのをとどめて下さった。」と感謝しました。

天気予報では、いずれの日も雨が降る予報は出ておらず、どれも天気が急変した結果でした。いずれの場合も心を込めて、「雨を降り注ぎ」を歌ったつもりです。「分かりました神様、これからはRに頼むのではなく、あなたに頼みます。」神様をとばしてRに雨を降らせてくれと頼むのは、いかがなものかと思っていたのです。

今後も神様は、神様がおられることや、人間が唯我独尊でやってきたことに気づかせるために、我々に対する自然を通しての圧迫の手を緩めないと思われます。もし来年以降、日照りが続き雨不足になったら、この「雨を降り注ぎ作戦」でいこうと思いました。皆さんも日照りの事態に陥ったら、ぜひこの「雨を降り注ぎ」の讃美歌を試しに歌ってみて下さい。

勘違いされる方はいないと思いますが、この賛美歌の「雨」というのは、神様からの霊的な力とか、聖霊とか、色々な天的な恵のことを指していますので、念のため。

雨を降り注ぎの歌詞

https://sanbikashi.net/there-shall-be-showers-of-blessing/