天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

龍のこと(8)

龍と蛇の関係について。聖書の創世記に、蛇がエバをたぶらかした話しが載っていますが、英語の聖書では「蛇」は「ドラゴン」ということになっています。蛇=龍 なのです。蛇は被造物の中で最も狡猾で、と聖書にありますが、どうもあの蛇のイメージからは、頭が切れるイメージはありません。むしろ蛇は頭悪そう‥‥

しかし、堕ちた天使としての龍、被造物の中でも知性が高く、位が高い、龍という存在であれば納得です。創世記の話は、観念的、比喩的表現で、人間の堕落の原因を描いているようなので、字句どおりに取る必要はないと思われますが、堕落には龍の存在が絡んでいるということが分かります。

日本神話の中には、蛇的存在と巫女の性的関係で、次世代の天皇が生まれるというような話がよくあるので、龍が蛇の形に物資化したり、蛇に憑依したりして、人間と交わっていった事実があるのだろうと思いました。なので、エバの話ももしかしたら、性的な事柄を言っている可能性もあるかもしれない。

この前の記事でご紹介した、上ノ国の龍燈の話ですが、あるアイヌの男性が、その噂を検証しようと思って、龍の通り道である洞穴を探っていたら、大蛇が出て来て腰を抜かした、ということが書かれていました。龍も長いし、蛇も長い。龍が霊体から三次元に変化するとき、蛇の形を取ることが、この話からも伺えます。

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)のエピソードも、山から来る「大物主」という図体の大きい存在と、次の朝に箱の中に収まった、小指ほどの白い小さい蛇の姿との対比が際立つ物語です。これも山から来る龍の存在を思わせます。

姫の大物主の姿を見たいという願いを聞き入れて、どう思われるかということもお構いなしに、素直にそれを実行してしまう大物主の単純さよ。憐れというか、純粋過ぎるというか。私が龍と接触した経験からも、この単純さは彼らに特有の性質だと言えます。このような存在が、ものすごい美男美女に変化するという事象からも、堕天使の七変化の性質を持っていることが伺えます。

龍は遥か昔から日本や世界の不可見界に住んでおり、創造主の管理の下、ある程度の自由を享受してきたのでしょう。しかし、それが行き過ぎると、唯一真の神からの介入が起こるのだと思われます。既に甚しく人間と龍との混淆が起こってしまっていて、そのせいで神の子らへの生活の圧迫が甚だしくなり、いい加減この辺で手をうたねばまずいだろうという段階になった時、一つの時代をストップし、精算に向かわせるのだろうと、自分なりに理解しています。

この世の君は龍であるサタンであり、その血(霊統)を色濃く引く王族が、彼らの手下ということなのでしょう。バプテスマのヨハネは「まむしの末よ」と民衆に言い放ちましたが、我々一般人の中にも龍の血?が入っていることを考えると、そう言われてもっともなのです。