天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

日本と龍の関係(1)

 皆様お元気でしたでしょうか。去年の12月からこちらを放置していました。「あれを書こう、これを書こう」と気持ちはあっても、生活の中である苦しみが続いており、体と心がいうことを聞かず、気づくともう3月。体調の悪さから、ブログを1年放置したこともあったので、これはまだ短い方ですね。

 また、皆様のコロナライフはいかがでしょうか。はっきり言って日本は過剰反応しすぎだと思います。当初目から感染すると言われていたのに、日本人はマスクだけで目をさらけ出していても、感染しないではありませんか。また、いかにも多いように見せかけてはいるが、重症者も少ないではありませんか。こんなこと言うと怒られるかもしれませんが、色んなことを犠牲にしてまで守るというよりも、もう重症者は自然淘汰されるということでよいのではないかと思います。女性や子どもの自殺が増えているといいます。仮想敵のせいで、こんなに振り回されてよいのでしょうか。

 日本人や周辺アジア諸国の人々が、コロナで重症化しないという現象は、遺伝子的にも説明できるようです。昨年のヨーロッパの研究者の報告から始まる、ネアンデルタール人に関するこのニュース、ご存じの方も多いのではないでしょうか。

https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000207770.html

この事実に神様の不思議な業を感じます。

 やっと本題に入りますが、昨年は龍のお蔭で、自分の信仰もどきを振り返るよい機会になりました。霊にまつわることに多く関心を費やすよりも、もっと現実に則した生活をしよう、宗教の枠にはまっていない人達の生活姿勢に学ぼう、口先の言葉より実が大事だ!ということをあらためて思いました。今は自分の宗教色をいかに少なくしていくかが課題です。

 下手な修行や祈りをするとサタンがやって来ると、あるクリスチャンが言っていましたが、この「サタン」というのが、龍という幽界にいる存在ということが経験的に分かり、ここで言うサタンは一体のルシファーというわけでなく、多数存在しているあらゆるレベルの龍にあてはまるということが分かりました。各人間のレベルに合わせた龍がつくようです。

 彼らの行動は興味深いですよ。人が集まる所に彼らも集まるようです。お正月明けの仕事始めの朝、人々が出勤や通学にワラワラと出て行くのを待ち構えていたかのように、上空に数体出現しているのが見て取れました。「うちらが正月休みってことをちゃんと分かっているんだ(苦笑)」。私の家の場所も彼らにマークされているので、こちらが出勤する姿もばっちり見られていました(主観)。

 向うもこちらを認識しているし、こちらも向うを認識している。彼らはじっとつけ入る隙を狙っているように思われ、そんな緊張関係を保ったまま、両者ジリジリと間合いを測っているような感じでした。

 紅葉がきれいに色づいている秋の銀杏並木では、人々が思い思いに写真を撮っていましたが、その人出に合わせるかのように、彼らも上空を悠々と回っているのが見えました。この時はまるで向こうさんも楽しんでいるように見えましたが。意味深なところでは、男子修道院の上空にかなりの数の龍がたむろしているのが見えました。また新幹線の始発駅の上空にも集まっているのが見えました。

 彼らは強力な電気的力を有しているので、そこで行き交う人々の心や頭に働きかけて、何らかの影響を与えようとしているのだろうと思ったものです。ということは、宗教施設や霊場も彼らにマークされているに違いなく、強力な霊現象や偽の神がかりを起こして、人々を彼らが思う方向にそらしているのかもしれません。

 「霊的なことに関心を寄せない」と言いつつこのようなことを書くのは矛盾していますね。

(つづく)