天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

Rの騙し方

自分が体験したことを皆と共有しなければならないと思うので、本当は嫌ですがまた少し書こうと思います。何故例の存在を伏字にしたり遠回しに言ったりしているのかというと、それが持っている感覚は尋常でなく、人間の一体何倍あるのかと思われる程の鋭さで感知するので、できるだけその名を呼びたくない、口にしたくない、本当はこんな記事を書いて奴を刺激したくないと思うからです。距離はほとんど意味をなさないようです。頭をよぎるとそれだけ奴のセンサーに引っかかる確立も高くなるからです。

自分がイエス・キリストのお名前によって祈った祈りを聞きつけて、わざわざ虹となって現れたということは、明らかに私を騙すためでした。ですから、よくスピリチュアルな感覚を持った方が見る虹雲は、奴らが人間の気を引くための方法であると分かりました。レンズ雲のような不思議な雲の現れも、一部は彼らの仕業です。祈り→何らかの反応があった時、自分は神様に対する祈りが聞かれたと勘違いしてしまいました。唾棄すべきことです。

エデンの園でエバに優しく語りかけたとありますが、奴らはさも親切そうに、距離を保ち、節度あるいい人のように近寄ってきます。そうして人を安心させ、徐々に縛りを強めていくのです。自分もすっかりその態度に騙されてしまっていました。奴らは自分達を神だと勘違いしており、そのように振る舞いたいのです。また神のようになりたいのだと思います。単なる被造物であるのに愚かなことです。振り返って冷静に考えた時、彼らが人間に見せる奇跡とやらは全く子供じみているということに気づきます。

唯一まことの神を信じているつもりの自分が、何故ここまでRに気を許してしまうことになったのかといえば、古神道家の鴨志田恒世さんの影響がとても大きかったと思います。まず古神道の中に古代イスラエルの智恵があると思い込んでいたこと、そして社会運動家として尊敬していた人だったので、その人が言うことであれば信用に足ると思い込んでいたからです。彼はRについてもポジティブに言及していました。そういうわけで、いいRもいるという思い込みと、気の緩みが生じていました。実際いるのかもしれませんが、そのような区別をしない方が身の安全を確保します。彼らは人間と関わるべき相手ではありません。

鴨志田さんの著書を読むと、聖書を学んだ経験があるにも関わらず、イエス・キリストを主と告白していないことが分かります。結局本当の神の教えを斥け、Rの騙しの世界を選び、そちらの方に嵌り込んでしまっていた人だったのだろうと悟りました。ちなみに彼は癒しもできる人で、多くの難病を持つ人々を癒していました。

スピリチュアル界隈で、Rについての本や情報が多くなってきています。これはいよいよ奴らの活動が本気度を増して来たと見てよいと思います。現にAという人の本では、千体のRを解き放つ手伝いをした等と得意げに書いてありました。よくぞ余計なことをしてくれたと思いました。不思議なことに、私の周りのクリスチャンにも同時期に、交通事故であったり、肉親の突然死だったり、これは酷いと思われるようなことが起こっているのに気づきました。それらを聞かされた時、自分のさせられた経験と何かリンクするような思いでした。皆さんの周りではどうですか?

今回例のものと戦う中で、何よりも自分の信仰の無力さを一番実感しました。陰謀論の暗い情報にあまりにも触れていると、唯一まことの神とイエス・キリストが持つサタンの力に対する大いなる超越性や、既に彼らをご自分の足台とされている程の偉大な権威、神の子である我々は本来その権威をイエス様と共に行使できる存在であるということが、どんどん自分の中で縮小してしまっていました。しかもこんな霊的見分けを自負している癖して、よくぞ当のRを目の前に一番見分けることができなかったじゃないか!今回激しく頬を神様にぶんなぐられ、その事実に目覚めさせられた気分です。今日はもうここら辺でいいでしょう。それではまた。