天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

洲本・沼島への旅(2)

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             (1億年前の褶曲を表す石)

次の日は沼島へ観光タクシーで向かいました。一瞬レンタカーを借りようか?とよぎりましたが、カウンターのおじさんに相談したら、台風後で波が強くしぶきのかかる海外線を走ったり、アップダウンのある山道が続くので、この土地の初心者は止めておいた方がいいと力説され、タクシーをチャーターすることにしました。そしてタクシーで現れたおじさんは、パンチパーマの平たい顔族のおじさんでした。

古代イスラエル人の痕跡のことを、カウンターのおじさんにもタクシーのおじさんにも話ましたが、カウンターのおじさんだけがうっすらとそのことを知っているようでした。タクシーのおじさんに由良湊(ゆらみなと)神社に連れて行って下さいとお願いした所、山の中の奇妙な墓地のような所に連れて行かれ、「ここです」と言われ降ろされました。そこは仏教的なモニュメントがあるだけで、なんだか暗く嫌な感じのする所で、後で調べ直すと、やはり全く間違った場所に連れて行かれたということが分かりました。

自分が行きたかった由良湊神社には「ねり子祭り」というお祭りが残されていて、3歳になった赤ちゃんを大人達がリレーのように素早く引き渡し、どの子が神社の境内に1番に着くかを競うのだそうです。子どもの額とほっぺたに赤い十字を書くのですが、キリスト教的なものを感じさせます。

エス様が生まれた時に、三人の博士からユダヤ人の王が産まれたと聞かされたヘロデが、3歳以下の子どもを皆殺しにしたという話が聖書にありますが、その時大人達は赤ちゃんを守ろうと、必死になって運んだことでしょう。YOU TUBEの映像でこの祭りの様子を見ましたが、その話を思い出しました。泣き叫ぶ赤ちゃんの姿をナレーターが、「この日は赤ちゃんにとって受難の日です」と気真面目な声で解説していたのに、思わず吹き出してしまいました。

タクシーのおじさんに、沼島に行く間には水仙の自生地があることを教えてもらいました。この水仙も遠くイスラエルの地から持ってきたものではないかと言われているようです。また途中諭鶴羽(ゆずるは)山とその神社があり、そこもユダヤ人との関係があるらしいので立ち寄ってみたかったのですが、私達が通ってきた海岸線沿いのルートからは、車でアクセスすることなどできないと分かり、山を下から眺めるだけに留まりました。諭鶴羽神社の祭りとして、剣山と同じように神輿を山頂まで担ぎ上げるというのがあるそうです。

そうこうしている内に、沼島が近づいてきました。古事記で書かれている国生みの舞台となったオノコロ島ですが、今から行く沼島がその重要な候補地なのです。沼島は漁業を生業としている島なのですが、さっぱりとしていて磯臭さを感じさせない、明るい島でした。

3時間足らずの滞在で、駆け足で見るしかありませんでしたが、この島から1億年前の褶曲地形が発見されたということを知りました。それはフランスと沼島でしか見られない地形なんだそうです。そのことからも、この土地がかなり古くからあったということが窺えます。

この沼島には、海にざっぱーんと荒々し御神輿を投げ込む祭りがあるのです。神の箱を進ませることによって、紅海が割れたり、ヨルダン川が堰き止められたりする、旧約聖書の故事を彷彿とさせますが、神の箱に対するこの扱いの荒さよ。

諭鶴羽神社や沼島には、豊臣秀吉や10代目の足利将軍が来訪したという記録もあり、権力者達には昔から重要な場所と見做されていたようです。

タクシーのおじさんに最後に聞いた話で印象に残ったのが、南あわじ市では各農家で牛を飼っており、その牛が子どもの時に三重の松坂や神戸などの土地に買われ、そこで生育された牛がブランド牛になるのであって、元々はここ南あわじの牛なんだよ、ということでした。

古代のイスラエル人は赤い牛を燔祭にするために飼っていたそうですが、きっと淡路の牛も毛が赤いのだろうと想像しました。むかし淡路島に古代イスラエル人が降り立って、そこから日本各地に国造りのために散らばっていったことを象徴するような話だなあと思ったのでした。

大阪の叔母の家に戻り、二人で聖書の申命記を読んでみることにしましたが、これら日本に残されたイスラエル文化のことを念頭に置きながら読んでみると、いかにもつまらなさそうな申命記も、ぐっと面白く読めることに気づきました。黙示録読みが大体終わったので、これからは申命記をちゃんと読んでみようか。