天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

天国と地獄のこと1

物心ついた4~5歳のときから自殺願望があった自分にとって、
天国と地獄や死は身近な関心ごとでした。

どうしてこんな早くからそう思っていたのか、今考えると不思議な気もしますが、
自分の生まれた時の状況や、育った環境のせいで、生きる辛さを感じずにはいられ
なかったのでしょう。そのせいか、今でも苦しんでいる人を見ると自分を見ているように
感じることがあります。

私が神様のことを意識するようになったのも、ポジティブな理由よりもネガティブな
理由からでした。「死んでしまいたいのだけれど、地獄には行きたくない。」
というものでした。自殺をすれば地獄に落ちる、となんとなく信じていました。

幼い頃の自分は死ぬことばかり考えていたのと同時に、いいしれぬ不安も抱えていました。
そして嫌な予感がずっとつきまとっていました。
私の兄弟も自殺願望はなかったものの、同じように嫌な予感を感じていたようです。
その嫌な予感は11歳の頃現実になり、家族にとって最大の危機が訪れました。

ところでこの前、歳の近い仲のい従姉妹(クリスチャンです)が来て、
面白い(?)話になりました。

私と兄がよく見る恐い夢があって、話しているうちにそれが同じ内容の夢だということに
気づいたことがありました。今から2年前位のことです。
非常にリアリティのある夢で、今でもそれが夢であったのか現実であったのか分かりません。

そしたら、何と従姉妹も同じ夢をみていました!
その夢というのは、むかし私達家族は祖母といっしょに暮らしていたのですが、
その祖母の家の2階のある部屋にお化けが出るというものでした。
自分がその部屋で布団に寝ていると、周辺にお化けがうろついているというような内容です。

子供の頃にはそんな話しを3人でしたこともなく、今になって3人とも同じ夢を
見ていたことが分かり不思議でした。

家族では母が信仰を持った最初の人でした。
母が言うには、自分がきちんとした信仰を持とうと決心したその時期、悪い霊の攻撃が強く
あったに違いないと言っていました。
その時が、私達家族が遭遇した最悪のことが起こった時期だったようです。

私の子供時代の情景は、今思い返してみても、色で例えるなら灰色~黒の世界です。
今振り返ってみると、闇の力に強く引っぱられていたのか、私の好む物も
暗い方面のものに引かれていたような気がします。

最近11歳の頃の写真を見つけて自分の顔を見たのですが、
「げっ、なんだこの顔?!死相が出てる!!」と思わず叫んでしまいました。
それはまるで長い間の不安と恐怖で、すっかりひきつってしまった人の顔でした。
当時はこうして自分を笑い飛ばせる日が来るとは、思いもしませんでした。

27歳位になった頃、ようやっく長~いトンネルを抜け出て、明るみに達したような
気持ちになりました。子供の頃の痛みを忘れ去るのに15年近くもかかりました。
私の友人達からは、その写真ではありませんが20代の頃の別の写真を見て、
「昔の方が今よりも老けて見えるねー」とよく言われます。

「人は自分の歩みを自分で決めることはできない」
と聖書に書いてありますが、本当にその通りだと思います。
自分の弱さも火のような試練も、決して自分が望んだものではありませんでした。

このような災いも、自分を鍛えるため神様のお許しがあって下されたものだと
やっと思えるようになりましたが、本当に悪夢のような出来事でした。
今は自分の人生に対して大きなうねりのようなものを感じます。
自分自身の力ではどうにもできない何かに引き付ける力のようなものです。

教会には私のように悪夢のような経験をされてきた方がたくさんおられることに気づきます。
中には小説でしかありえないような、もっとひどい経験をされてきた方もいらっしゃいます。
そういう方を見ると、自分の経験はまだ軽い方だったのかとさえ思えてくることがあります。

この前の礼拝で、歳をとった信者さんが、
「地獄を見て天国を求める気持ちが強くなりました」とおっしゃっていました。

そのようなひどい経験を通ってきた方にとって、クリスチャンの集いは本当に天国のような
ものだと思います。教会での交わりが、苦しみを味わって来た方が、さらに苦痛を感じる
場所であっては断じてならない、と強く思います。