天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

ヴァチカンにおける三度の悪魔祓い

 
2019年2月19日のケヴィン・アネットさんのメッセージの一部を抜粋してご紹介します。https://bbsradio.com/article/cardinal-gets-laid-frankie-fixer-upholding-oldest-lie-until-very-end
 
ラツィンガー、アドルフォ・パション、タルツィシオ・ベルトーネなどの一連の追放劇は、まさにヴァチカンにおける三度の悪霊祓いの儀式が契機となったということを語っておられます。映画のエクソシストに出てくるような、髪を振り乱し十字架を握りしめ、必死の形相で悪霊と対峙している絵とはまるで違います。唯一まことの神とイエス・キリストの名によって行われる、静かで冷静な式の様子が、これらの映像から確認できると思います。
 
【悪魔祓いの儀式の様子】
(1回目)音がうるさいので注意!
(2回目)
(3回目)
 
ここで、カトリックではしょっちゅう悪魔祓いをやっているではないか、ケヴィン氏のやっていることとの違いは何か、ケヴィン氏の行ったことが今さら何故このような効力を発揮したのかと思われる方もいるかもしれません。
その答えにはアルベルト・リベラ氏が体験し考察したことが参考になると思います。
彼によると、イエズス会の司祭が行う悪魔祓いは、人々をより彼らに依存させるためであって、実際は悪霊で悪霊を祓っており、一見神の力が働いているように見せかけるのが狙いだということです。今日キリスト教界内に侵入してきている悪霊祓いのパフォーマンスにも、同様の手法が取られているようです。
 
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ここからケヴィンさんのお話です。
(前略)
 
バチカン市国の外に立ったことがある人、またそれらオフィスを所有する生産性のない人達に遭遇したことのある人は、その骨の内側に実際には何もないことを知っていると思います。私は最初のヴァチカンとの接触の時から、バチカン市国とそれが収容するものは、大きくて何もない空の空間ように感じています。そのイメージを持っていて下さい。
 
10年前、2009年10月11日の正午に、私はサンピエトロ広場に立って、教会によって殺された子供たちのための記念礼拝を始めましたが、それはローマに存在する霊的存在に向けられた公の悪魔祓いとなっていきました。それから、いくつかのかなり奇妙なことが起こりました。
 
それらの最初のものは、私が逮捕されなかったということです。それはサンピエトロ広場で行う、どんな抗議や無許可の式に対するバチカン警察の通常の反応です。実際、私がバチカンのドームで聖水と灰を散らし、そこを致命的に支配する霊に姿を表し、その名を表すよう要求していた時、教皇とローマの警察は文字通り私のそばを歩いていたのです。
 
その日彼らの目に、私は見えなかったのかもしれません-色んなアイルランド人と私の先住民の親戚によると、実際私は見えていなかったということでした。とにかく、竜巻が突然ローマの中心を襲った翌朝まで、それは全てとても非現実的に感じられました。
 
そして二日後、教皇ベネディクトの児童売買における個人的な共犯に関する最初のニュースが、世界のメディアに飛び込みました。おそらく偶然の一致だろうという理論家を除いて、事は明らかにされていました。
 
次の年に移り、私自身サンピエトロ広場に再び現れ、憑依しているものから霊的存在を追い出すことを含む、悪魔払いの第二段を行いました。実際にその行動によって呼び覚まされ、追放が起こり始めました。
 
教皇ベネディクト、ジョセフラッツィンガーは、その後のイエズス会の "黒い教皇"アドルフォ・パションと、トップの枢機卿タルツィシオ・ベルトーネ、ショーン・ブレイディの辞任と共に、彼の職から辞任しました。
 
ラッツィンガーが辞任した日に雷がバチカンのドームを打ちましたが、それもまたもう一つの偶然の一致だったと思います。
 
それにもかかわらず、ウィリアム・マッカリックの追放と共に再び目撃したように、これらの悪魔払いが始まって以来、上級聖職者たちの追放は急速に激しく起こり続けています。それは、教皇フランシスコが必死で行っている政治的な操作のためではなく(彼自身じきに陥落するでしょう)、目に見えない何かが要因となっているのです。
 
物事の表面的な外観を深く見て、これが何なのかを理解する必要があります。これは、私を支持してくれている最も確固たる者でさえ、この一連の原因と結果、その復活祭の日曜日2014年4月20日の次に起こることを予測できなかった理由です。
 
その日には、第三番目であり最後となる段階の、ローマに存在する霊的存在の悪魔祓いの、追放された悪霊を何か新しいもので置き換えるという儀式を行いました。2014年4月20日、私はまだ理解していない何かの中心に立って、オランダのマーストリヒトにあるイタリアの国外にある最も古い教皇の教会で、その第三のステップを完了しました。その日、バチカンの権威と存在は、天と地の法則の下で公に無効にされると宣言されました。
 
あなたはこれらの出来事を、私たちの存在よりも大きい何かが、この惑星で最も古い企業の支配を滅ぼしたという証拠として受け入れるため、特別な霊的信条や傾向によって楽しむべきではありません。私がバチカン市国の外に初めて立ったときに感じたように、ローマの世界的な富と嘘の教会は存続しているように見えますが、私達は間違ってそのように錯覚しているだけなのです。教皇の表面的な権力の背後には、現実のない隙間があります。
 
ヘブライ人が偶像、ペゼルと呼んだもの、つまりホログラムのような、実体のない映像です。この場合ははるかに致命的なものです。 二千年以上もの間、ローマを支配する霊的存在は、男性と女性と子供たちから寄生的に命を奪うことによって繁栄してきました。私たちはこの血に染まった歴史をよく知っています。しかし今、私たちを通して行動して下さっている何かがその幻想を打ち破り、ローマを支配していた存在を追い出し、明らかにするために、異なる何かへの扉を開いて下さったということです。
 
後者は男性も女性も自由に創造的な活動を行うことができるようになるためです。「教皇」自身から始まり、既に死んでいる教皇の侍者達は、不条理な裸の王様のように、空想でしかない権威に必死にしがみついています。その死者を葬るために、私たち生きている者は、死者が死者を葬るままにしておくことがますます必要とされます。
 
子供を傷つけたり、害を及ぼしたりする人々を保護する人々もいます。そのようにして彼らを逮捕せず、ローマ教会とそのパートナーを断罪して解体しなければ、私たちは想像を絶する悪の付属品に過ぎなくなります。そのような地獄を容認する限り、私達は死者の住人を統治する世界の住人であり続けなければならないということです。
 
【参考】
第三回目の悪魔祓いにおけるヴァチカン廃止宣言の文言(1)、(2)