天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

祈りは子どもを黙らせる(2)

聖書に「自分の子に鞭を打つことを控える親は愚かである」とありますが、

そもそも人間はDNAの中に罪の性質を組み込まれて生まれてきているので、

子どもを叱ったり躾けたりしないでいる親は、いわば犯罪人を野放しにしている状態なのだと思います。

神様もこのことをよくご存知のため、大人になってから死ぬまで人は神様に躾けられます。

神様を信じる者は余計厳しく躾けられる気が・・・

父の躾け・母の躾け・祖父母の躾け・学校の先生の躾け・社会全体の躾けの

手抜きや手加減が積み重なり、今の子の無法さが形づくられてきたのだろう、

と理屈でわかっていても、いざ学級崩壊状態の子どもの群れに直面すると、

無秩序に行動するこの子達を具体的にどう接したらいいのか、自分が素晴らしい人格の教師で、

子ども達を引きつける魅力にあふれていたらいいのだろうが、

客観的に見てそうとは思えず、一体どうしたものかと悩みました。

ただでさえ子どもはパワフルなのに、一層野放図になった彼らのエネルギーに押され、

ひ弱な自分のパワーでは、その勢いに跳ね返されてしまうのです。

そんな中、昔通っていた教会の子どもクラスが始まる前に、

いつも子どものために、一人一人名前を上げて祈っていた姉妹の姿を思い出しました。

この子達にも祈りが必要なのではないか?

「子どもは自我が発達途中だから、大人よりも聖霊がしみ込みやすいだろう」

という自論があるのですが、実際に困った事態に直面してしまったので、

このことを神様に祈ってみることにしました。

英語のクラスがあるその日の朝、通勤バスの中で、

携帯のメールに打ち込む形で彼らのことを祈りました。

神様に識別して頂けるように、特に問題ありと思われる子どもの名前を一人一人書きました。

そしていつもの忙しい一日が始まり、すっかりそのことを忘れていました。

子どもに勉強を教える前に、皆で一斉にご飯を食べるのですが、

最近はこの時間もキャーキャーわめいたり、変に騒いでご飯も落ち着いて食べず、

いつもガヤガヤとうるさく、その雰囲気のまま次の英語の時間に移っていくという

悪いパターンを繰り返していました。

ところがこの日の様子は何か一味違っていました。

この子どものプロジェクトをいつも手伝って下さっている、もう一人のボランティアの

先生がいるのですが、(この先生は完全に神からの使いだと思っている)その先生も、

「なんか今日の感じよかったよね?大騒ぎしたりせずちょうどいい雰囲気だった。」

と、ニコニコして喜んでいました。その言葉を聞いて、

「確かにキャーキャーと変な騒ぎ方はしていなかったよな。」

と思いました。そして肝心の私の英語の授業が始まりました。

「あれ、今日は何かやりやすいぞ。」

いつもであれば、ホワイトボードに何かを書きたがったり、実際に立ち上がって書いたり、

人の話をさえぎって自分の話をし出したり、

どうでもいい質問や発言をして、先生の話を翻弄してくるのが彼らの手でした。

しかしどういう訳かこの日は皆聞きわけがよく、そのような行動はほとんど見られませんでした。

そしてそのようなまとまりを保ったまま、この日の授業は終わりました。

大学生のアシスタントの女性が一人、同じクラスにいて手伝ってくれているのですが、

授業が終わった後、

「何かあったんですか?今日みんなすごくいい子でしたよね?!」

と驚いた様子で私に言ってきました。

「いや、実はあったんですよ。前回ひどく怒ってしまって・・・」

と返事したものの、仕事の緊張から解放されて、この日のことをゆっくり振り返った時、

確かにそれとは違う何かが今日はあったと感じました。

「これは神様だ・・・」

ダメもとで、困った時の神頼みで祈っていた自分に対して、

本当に応答して下さったのだとすると、神様に対していい加減にふるまっている

自分の姿が恥ずかしいような、申し訳ないような気がしました。

聖霊は知恵の霊とも深慮の霊とも言われますが、人に落着きを与え、

何が正しいか正しくないか、神の法を一瞬にして見分ける識別力も与えてくれます。

それには大人も子どもも関係ありません。

人格が形成途中の子どもに対しては、大人の絶えざる祈りが余計必要だと感じました。

本当は授業の中で聖書の読み聞かせをしたいのですが、キリスト教系でもないのに

まさかそんな勝手なことはできません。(聖書の紙芝居はこっそり2回やったが)

彼らのためにこれから祈り続けていくと、一体どのような変化が生まれていくのでしょうか。

引き続き観察していくと面白いかもしれません。

全国の学級崩壊で苦しんでおられる先生方、是非子どものために神様に向かって祈ってみては如何でしょう。

何か素晴らしい変化が起こってくるかもしれません。