誰もその祈りの生活より偉大であり得ない。
祈らない牧師は遊び暮らしている。祈らない人々は迷っている。
講壇は、その才能を示すショーウィンドーでありうる。しかし、祈りの密室は一切の人間的誇示を取り去る。
今日の教会は多くのことにおいて貧しくみじめなものであるが、ことに祈りの点においてそうである。
組織者は多い。けれども祈りの苦悶者は少ない。
多くの者は遊戯者、献金者である。祈祷者は少ない。
歌う者は多い。神に迫る者は少ない。
牧師は多い。神と苦闘するものは少ない。表面の者は恐れる。涙を流す者は少ない。
表面は美しい。裏面は熱情が乏しい。干渉者は多い。とりなす者は少ない。
多くの者が本を書く。第一線で戦う者は少ない。
現在ある場所で失敗する者は、あらゆる場所で失敗する。
成功するクリスチャン生涯の二つの必要条件は、幻と熱情である。
その二つは祈りにより生まれ、祈りによって持続される。
説教の奉仕は少数の者に開かれている。しかし、すべての人間の務めの中で最高の奉仕である
祈りの奉仕は、すべての者に開かれている。
ある青年たちは言う、「今晩は祈祷会だから自分は行かない。」と。
悪魔は大部分の説教を恐れる理由をほとんど持たないらしい。
しかし悪魔は、祈りつつある神の民と戦うために、すべての彼の地獄の軍隊を結集することを、
過去の経験において物語っている。現在のクリスチャンたちは、主が「すべて汝が地にて繋ぐ所には、
天にても繋ぎ・・・」と仰せたもうたように、その責任はわれらの上にあるにもかかわらず、
繋ぐこと、解くことについてはほとんど知らない。
あなた自身最近このことをなしたであろうか。
神はその御力を浪費なさらない。われらは神のために富むためには深く神と交わらなければならない。
この世は、われらの最も早い飛行機でさえ、さながら亀のように遅くみえるスピードをもって、
地獄への命中弾道ミサイルを放っている。
しかし悲しいことに、世界を揺り動かすリバイバルを求めて、夜も眠らずに神を待ち望んだ
前代を記憶している者は少ない。
われらの憐れみの情は冷えている。われらは足場を建築物と間違えている。
今日の説教は、天来の真理の貧弱な解釈により、われらをして行動を上よりの油注ぎ、
動揺を創造、空騒ぎをリバイバルとあやまらせている。
(「リバイバルの障害」よりP9-10)