剣山を紹介する写真では、まるで軽いトレッキング気分で行けるような
場所のような気がしていましたが、結構な急角度でした。
周りの山々の頂を見ると、この写真のように剥げている部分が目立ち
とても気になりました。
「高地性集落」というキーワードをもって語られることが多い剣山ですが、
そのことがとても腑に落ちました。
この写真の中心から左の茶色い剥げ部分、とても気になりません?
どうも木を伐りだした跡のようで、気になって仕方ありませんでした。
今こうして写真を拡大してみると、段々畑の跡のようにも見えます。
剣山登山の後、観光タクシーに乗り換えて祖谷(いや)という場所に行ったのですが、
そこの落合集落という集落の構造に似ているような気もします。
しかし山全体の剥げ具合を見ると、高地にある集落というよりも
羊や山羊が草をどんどんはんで、すっかり剥げてしまったというのが
自分の直感的には一番しっくりくるような気がしました。
視察剣山(1)の記事の写真ももう一度見てみて下さい。
人の手が入った感満載の剣山とその仲間たち。邪馬台国山上説もさもありなん
と、つらつら考えながら登っていると頂上に辿りつきました。
頂上に出てみると、やはり馬や牛や羊が放牧できそうな広さで、
爽やかな風が吹きわたっていました。
ここは周りの山が全て見渡せる最高峰に位置しています。
太古の人はここからどんな思いで周りを見渡したのでしょうか。
そんなに山登りしているわけではありませんが、
山の頂上でこのような広場感のある爽快さを今まで味わったことがありません。
木や岩などがすっかり取り除けられ、余計な物がないのです。
自分の中では剣山は清潔感のある明るい山として、すっかり印象づけられました。
叔母と木の板に腰かけて遠くのV字谷を見ながら、あの谷の底にはどんな営みが
あるのだろう・・・と思いを至していた時、いきなり
「ハイリハイリフレ ハイリホー♪」
みたいな歌声が横から聞こえてきたので、思わず叔母の方を見やると、
なんと叔母が嬉しさのあまり異言で歌っていました!
よく耳をこらして聞くと、
「・・・スス・・・エクセシオースス・・・ケルヒネーシス」
みたいな、やはりゲルマン系の言語を思わせるような、
音節のはっきりした言葉です。
「何の意味だか分からないけど、口を開くと自然と出て来るのよね。恍惚感まったく無し」
と言って笑っていました。いつか叔母をヨーロッパ系の言語を研究している
学者に連れていくしかない、と思いました。
下山する際には、やはり頂上付近にある宝蔵岩を横目にしながら降りて行きました。
この岩、しっかりと亀の形をしておりました。
日本には亀を表す岩が多すぎる。
唯一まことの神は、生き物の像を作ってはならないとあれほどまでに
禁止されておられるので、鶴岩・亀岩を設置した存在は、
本当の神を拝んでいたのではない、と自分なりに結論づけました。
この山に神はおられるのだろうか。。。
(つづく)