天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

祈りの答え(2)

昨日船岡山での送り火見学会を無事(?)終えることができました。

祇園祭の見学会に引き続き、今回の見学会開催のため、

母と家庭礼拝的なものをしながら準備を進めてきました。

祈りの中で、この集まりに神様のご臨在がないと意味がないこと、

お話を聞く場所と船岡山をどうぞ清めて下さい、

聖霊を集まった方達に注いで下さい、と祈っていました。

あらかじめ週間天気予報を確認していましたが、当日は晴れのち曇りの予報でした。

「よっしゃこれで安心だ。」

しかし前の日の夜、ケータイの天気予報を確認すると、

なんと15~18時まで弱雨が降ることになっていました。

見学会は最初近くの民家で17時よりお話しを聞き、

送り火自体は20時から始まることになっていました。

「アレ?神様、20時からだから大丈夫ですよね?しかも弱い雨だし…」

しかもある霊的トラブル(と思われる)が発生していて、

集まりを行うことに対し不安材料を抱えていました。

直前の夜には、自分の中でその不安が大きくなってきて、

雨が降る恐れもあって、何とも休まらない夜を過ごしました。

そして当日、船岡山の近くの家で先生の講話を聞いていました。

「大文字の大は一と人という文字に分解でき、モーセシナイ山

燃える柴の前で地面に這いつくばり、礼拝した姿を彷彿とさせる…」

そうだよなあ、人は神様に全面降伏せなあかんなぁ…と思っていると、

ザーーーと雨が勢いよく降ってきました。

「あ"~弱い雨が降るんじゃ…」

間断的に雨は降ったり止んだりを繰り返しました。

「どうせ18時まで降ることになってるんだから、いずれ止むだろう。」

話をお聞きした後は、皆で傘をさして船岡山に向かって歩き始めました。

一番送り火が見やすいポイントに行き、点火の時を待っていましたが、雨は一向に止みません。

集まりに参加して下さっていた女性も、止むように最後まで熱心に祈って下さいました。

しかし逆に強くなっていやしまいか!?

そしてとうとう20時となってしまいました。

しかし、台風が来ても祇園祭をやる位の心意気のある京都人です。

これ位の大雨屁でもありません。

送り火は次々と点火されていきました。

ここは船岡山の一番のビューポイントで、人が多く集まっていたのですが、

足元はタプンタプンの水びたし。ちょっとした洪水の様相を呈していました。

稲光も何度も閃き、典型的な大雨のフルコースを味わうこととなりました。

振り返って集まって下さった人達を見ると、上から下までびしょ濡れで、

偉い先生もそうでない人も、肩書も何もかも身ぐるみはがされ、

皆一様に哀れな姿に変身していました。

もう後は笑っちゃうしかないといった感じで、皆で顔を合わせて笑いました。

結局送り火は、「妙」「舟形」「大文字(左)」だけを確認することができ、

最後は平安京造成の基となった三角点を頂上の方に見に行き、見学会を終了しました。

家に帰ってから天気予報をもう一度調べてみると、予報が変わっていて、

15時~21時の間で、弱雨→強雨→強雨となっていました。

雨の降り方がちょうど見学会をやっている時間と重なりました。

布団の中で、船岡山での不自然なまでの大雨のことを思い巡らしていると、

いつものように、あれはひょっとして神様からの清めの雨だったんじゃないかと思えてきました。

ニュースではこの日、京都市内で降り始めからの総雨量が120ミリを越えたと言っていました。

また、今日の朝借りた場所のオーナーからメールがあって、長年この場所に住んでいるが、

送り火の時にこんな大雨になったのは初めてです、と書かれていました。

確かに祈りの中で、何度も神様に船岡山と、お話をお聞きする場所を清めて下さい、

とイエス様のお名前で願っていました。

もしかして自分の祈りに対する神様からの応答としての大雨だったのか?

そう考えるとだんだん面白くなってきて、笑いがこみ上げてきました。

広隆寺の見学会の時は雨を止めて下さり、今回はまるで龍が上空で大暴れ

しているかのような雨を降らせて下さいました。

神様のなさることは本当に不思議で、人間の思いを越えていると思いました。

大雨にハレルヤ!