天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

逃れの道-雪の話

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「空の顔」

京都に2020年の3月まで住んでいたのですが、その間北海道に住む母が、毎年冬の雪かきが大変だと言って嘆いているのを聞いていました。札幌はずっと何年も降雪が少な目に推移していたのに、ここ数年は大雪になってきている、腰が痛くて雪かきするのが辛いと。

京都は日本海側以外では雪が積もることはまれで、こちらで楽な冬を過ごしていることが申し訳なく思え、体が弱りつつある母が一人で一生懸命雪かきしている姿を想像すると、なんだか可哀想に思えてきました。そこで、京都のアパートで一人声を出して祈りました。

「神様、母の雪かきが大変にならないように、どうか札幌の家の周辺に雪をあまり降らせないで下さい。」

しばらく経って、母に雪はどうか、雪かきは大変かと聞いたところ、「そういえば今年は雪が少ないかも。あまり雪かきしていないわ。」という返事が返ってきました。それを聞いて、「ああよかった。神様はこのような小さき者の、小さな祈りを聞いて下さったに違いない。」と嬉しくなりました。これが2019年の冬のことです。

2020年の冬にも、去年と同じように、母が雪かきに苦労せずに済むようにと祈りました。すると、結果降雪量が少な目となり、母が雪かきに悲鳴を上げることはありませんでした。

ここ数年気候変動が猛烈になってきていますが、このように心から祈るとき、神様はその中でも手心を加えて下さり、特別に取り計らって下さるということを体験しました。嵐の真っ只中で守られるということはこういうことなのでしょうか。

2019年の積雪データを振り返ってみると、なんとこの年、札幌全体で記録的な少雪となっていたことが分かりました。札幌で史上2度目の少雪 積雪最大でも10センチ(気象予報士 岡本 肇 2019年12月21日) - 日本気象協会 tenki.jp  神様はダイナミックなことをして下さいます。周りの人が、「去年は雪が少なかったねぇ」と言っているのを聞く度に、心の中で会心の笑みを浮かべたものでした。

肝心の母にこのことを話すと、「偶然でしょ、何寝ぼけたこと言ってるの」みたいな感じで、真剣に取り合ってくれませんでした。私にとっては心を込めた祈りで、その結果神様が答えて下さったとの手応えがあったのですが。残念ですが祈った者にしか分からない手応えや嬉しさってありますよね。

今年も既に平年の1.5倍、去年の2倍の積雪で、雪かきは大変ですが、神様に嘆く気持ちもなく、何故か安心しきっています。京都での自分の部屋での祈りと、離れた土地の札幌で降る雪の量を減らして下さったことをしみじみと思い出す時、祈りに答えて下さった神様への感謝の気持ちがじんわり湧いてきて、温かい気持ちになります。