大ざっぱに言って、「日本は仏教の国」
みたいなイメージがあると思うんですが、皆さんはどう思われますか?
確かに日本にある神社の数は、すさまじいものがあるようですが、
それ以上にお寺の存在感が強い気がするんです。
久保有政氏によると、後世に 日本=仏教国 のイメージを作ったのは、
聖徳太子を仏教の擁護者にまつり上げたことが、最大の要因ではなかったか、としています。
それには道慈(どうじ)という仏僧が深く関わっていたようで、
「仏・法・僧を敬え」に改ざんしたのもこの人物だったということです。
道慈はとても頭の良い人で、聖徳太子を仏教の聖人みたいな姿に創作し、
仏教の威光を高めようとしたようです。
日本書記が世に出た頃(710年)は、太子が亡くなってから、
既に90年近くも経過していたので、どんな事を書いても、怪しむ人はいないと踏んだのでしょう。
遺品とされるもの等を丁寧に検証していくと、
辻褄の合わないことが、次から次へと出て来るのだそうです。
それでほころびが出てきました。
聖徳太子の周辺の時代は、「えーこんなに人が死んだの」と思う位、
天皇が殺されたり、皇子の暗殺があったり、自殺があったり、多くの血が流された時代でした。
疫病が流行したり、不審火も立て続けに起こったりして、
「これは太子の呪いに違いない」
ということになりました。
法隆寺とその中にある「救世観音像」は、太子の怒りを鎮魂するために
作られたのではないかと言われています。
救世観音像には怖い話があって、包帯のような白い布で何重にもぐるぐる巻きに
されており、これを解こうとしたら、ピカッと稲妻が光り、
地震が起きて仏罰が下り、寺が崩壊するとか言われていました。
僧達は恐れて、秘仏として、白布で巻いたまま、
1200年もの間八角堂に封印しておいたのだそうです。
文化的黒船とでも言いましょうか、明治にフェノロサという学者がここに来て、
研究のために、ついにこの仏像の布を解いたのだそうです。
白布には途中紙がはさんであって、昔これを解こうとして途中で止めた形跡があったそうです。
作家の梅原猛氏は、「隠された十字架」という作品で、この像について謎解きをしています。
氏によると、この像の後光部分は、頭に釘で打ち付けてあって、
これは普通の仏像ではありえないことなんだそうです。
胸の部分にも釘が打たれており、手にはこれまたありえない
仏舎利の壺(太子の骨が入っているとも)を持たされており、
この像は呪いの人形として使われたに違いない、と言っておられます。
「夢殿」と名付けられた八角堂に安置されていたのですが、
八角堂自体、亡くなった人を弔う建物として使われるものです。
そう考えると、夢殿という名前も何か空恐ろしく感じられます・・・
日本史を調べると、よくこの「呪い」とか「怨念」とかが出てきます。
私はむしろこれに、聖書の神様が下される「裁き」のことを思い重ねました。
こういう視点で捉えると、全てが違って見えてくるのかなと思います。
日本は一見平和な国のふりして、結構水面下ではどろどろしていますよね。
(おわり)