天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

聖徳太子暗殺の解(2)

偉そうな題名つけていますが、自分が解いたわけじゃないのであしからず。

ほとんど久保有政氏の本の内容の紹介ですね。

聖徳太子の死後、「先代旧事本紀」(せんだいくじほんき)の行く末を心配した推古天皇が、

伊勢神宮の神官に人を遣わして、神託を仰いだそうです。すると、

「神社に隠せば失われることはない。」

とお告げがあったそうです。

それで、五十鈴宮(いすずの宮)、大三輪宮(おおみわのみや)、四天王寺

3か所に隠したのだそうです。

そのうちの一つが、長い時を経た江戸時代に伊雑宮から見つかって、

血なまぐさい事件を巻き起こしたということは、前にも書いた通りです。

先代旧事本紀」は、日本の正しい歴史を後世に残そうと、

聖徳太子が心血を注いで編んだ書でした。

その内容は、物部や忌部、卜部(うらべ)、吾道(あじ)、出雲、三輪の名家に、

ずっと伝わってきた記録を集めて、編集したものだそうです。

この本は驚くべき内容を含んでいて、従来の定説を180度覆してしまうものでした。

聖徳太子の言葉とされる、十七条の憲法の文言、

「仏・法・僧の三法を篤く敬え」

は、先代旧事本紀では

「儒・仏・神の三法を篤く敬え」

と言っているのだそうです。

儒は儒教で、仏は仏教、神は神道のことを指しています。

当時この3つの宗教勢力を、互いに尊重し合い共存させようとした、

そういう気持ちが込められた言葉だったということです。

和の精神を唱えた聖徳太子でしたが、こちらの方がより太子っぽくないですか?

なので、決して仏教だけ特別扱いしたわけではなかったのだそうです。

むしろ聖徳太子は、仏教の僧に対し厳しいことを言っています。

「欲と我を生み出し、・・・和(やす)らぎの徳を失い、闘う者は倫(みち)を廃れさせる。

 人を騙す者を人々の中に置いて、食べ物を与えてはいけない。

 道を廃れさせるやからを仏の中に置いて、仏の食べ物を施してはいけない」

これが聖徳太子の本音でしょう。

これからしても、彼が仏教の擁護者と言うのは間違いで、

むしろ僧侶の堕落に対し、警告を発していた側だったと思われます。

仏教推進派の人達も、聖徳太子のそういう姿勢に気づいていたことでしょう。

「欲と、我と、闘う者」とは、まさしく蘇我馬子その人のことを指しているようでもあります。

そういう聖徳太子に、蘇我馬子が殺意を抱くのも無理ないですよね?!

ちなみに先代旧事本紀では、十七条の憲法憲法は5つづつ書かれているのだそうです。

すなわち、

・一般人のための十七条の憲法

・政治家のための十七条の憲法

儒教家のための十七条の憲法

神道家のための十七条の憲法

仏教徒のための十七条の憲法

なんだそうです。

ですが日本書紀には、まるで一つの塊しかないように書かれているのです。

日本書紀は今ではすっかり評判を落としていますが、やはりその通りみたいですね。

伊雑宮から「先代旧事本紀」が発見されると、

当時かなりの有名人で、禅僧の高僧であった潮音(ちょうおん)という人と、

神社の神官の長野采女(うねめ)という人によって、世に出されました。

すると、これはすごい!ということになって、

知識階級や上流階級、宗教界を巻き込み一大ムーブメントを巻き起こしました。

これは由々しき問題と、伊勢の神官達が徳川幕府に訴え、

その裁判では、偽書の烙印を押され、関係者もことごとく有罪とされてしまいました。

中には暗殺の憂き目にあった者もいたようです。

ですが潮音は、

「これこそは天下の名著」

と言って、ずっとこの書物の真正さを訴えていたそうです。

現代ではその資料価値の高さから、やっとこの書に対する評価も見直され、

研究が進むようになったとのことです。

(つづく)