正式名は「木嶋坐天照御魂神社」(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)と言います。
ここは三つ柱鳥居で有名で、自分も実際に行きました。
池の跡はよく言われているように、明らかに古代の洗礼槽ですね。
クリスチャンなら一目見て、すぐ分かると思います。
この神社の名前は、木嶋という地に座されている天照神の御霊ということで、
名前の中に「アマテル」と入っており、明らかに創造主を祀っていたということが分かるというものです。
丹後地方に入植した渡来系部族は、ここから移動を始めるのですが、
伴とし子さんの説によると、彼らは丹後・丹波→但馬→若狭→近江→山城→大和というルートを辿り、
大和朝廷の基礎をなしていったのではないか、ということです。
(画像は拝借させて頂きました)
琵琶湖の東側をぐっと迂回して、奈良の方へと向かうルートです。
彼らにとって、琵琶湖は故郷をほうふつとさせる所があったのでしょう。
私も琵琶湖の東の近江地方に惹かれて、
ゆったりとした時間が流れていて、何故だか懐かしさを感じる土地だと思いました。
丹後地方では鉄の生産が盛んだったそうで、鉄器の出土も多数あるそうです。
秦氏の足跡を追っていく中で、鉱山関係者が信仰していた妙見信仰とも絡んでいる
ということが見えてきたのですが、やはり丹後地方でも噛み合いました。
ちなみに、空海は鉱山関係者とのコネクションも深かったようで、
彼らの協力を大いに受けていたようです。
ここでも秦氏の姿が見え隠れしていますね。
丹後地方では、この時代の日本における最大級の古墳が数多く出現しており、
古代史学会では、丹後地方の存在をもはや侮れなくなってきているのだそうです。
さらに丹後は徐福伝説、浦島太郎伝説、羽衣伝説等で彩られているということが分かりました。
これらの伝説にどういう意味があるのか、興味深い所です。
唯一まことの神様という視点で見て行くと、歴史もズパズパと切り進んでいけるので面白いです。