天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

天国へつづく道 天橋立(3)

京都に「蚕ノ社」(かいこのやしろ)という秦氏ゆかりの神社があって、

正式名は「木嶋坐天照御魂神社」(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)と言います。

ここは三つ柱鳥居で有名で、自分も実際に行きました。

池の跡はよく言われているように、明らかに古代の洗礼槽ですね。

クリスチャンなら一目見て、すぐ分かると思います。

この神社の名前は、木嶋という地に座されている天照神の御霊ということで、

名前の中に「アマテル」と入っており、明らかに創造主を祀っていたということが分かるというものです。

秦氏は明らかに一神教の神様を信じていたのですね。

丹後地方に入植した渡来系部族は、ここから移動を始めるのですが、

伴とし子さんの説によると、彼らは丹後・丹波→但馬→若狭→近江→山城→大和というルートを辿り、

大和朝廷の基礎をなしていったのではないか、ということです。

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                         (画像は拝借させて頂きました)

琵琶湖の東側をぐっと迂回して、奈良の方へと向かうルートです。

日本に来た古代ユダヤ人は、琵琶湖をガリラヤ湖に見立てたという説がありますが、

彼らにとって、琵琶湖は故郷をほうふつとさせる所があったのでしょう。

私も琵琶湖の東の近江地方に惹かれて、

ゆったりとした時間が流れていて、何故だか懐かしさを感じる土地だと思いました。

また来てみたくなって、愛知川や東近江市永源寺、太郎坊など、何度か通いました。

丹後地方では鉄の生産が盛んだったそうで、鉄器の出土も多数あるそうです。

秦氏の足跡を追っていく中で、鉱山関係者が信仰していた妙見信仰とも絡んでいる

ということが見えてきたのですが、やはり丹後地方でも噛み合いました。

ちなみに、空海は鉱山関係者とのコネクションも深かったようで、

彼らの協力を大いに受けていたようです。

ここでも秦氏の姿が見え隠れしていますね。

丹後地方では、この時代の日本における最大級の古墳が数多く出現しており、

古代史学会では、丹後地方の存在をもはや侮れなくなってきているのだそうです。

さらに丹後は徐福伝説、浦島太郎伝説、羽衣伝説等で彩られているということが分かりました。

これらの伝説にどういう意味があるのか、興味深い所です。

唯一まことの神様という視点で見て行くと、歴史もズパズパと切り進んでいけるので面白いです。


【自分メモ】
 徐福の時代  B.C.221位
 卑弥呼の時代 紀元後1~3世紀
 秦河勝の時代 6世紀後半~7世紀半ば