大阪の叔母に、
と聞いたら、サンカにも木地師いたよね。と返ってきました。
叔母は大阪の同和問題からサンカに興味が湧き、今サンカブームが来ているのだそうです。
山の中や川べりでテントを張って生活するサンカの行動は、
まさしく木地師の活動とオーバーラップするものです。
ちなみに叔母は手先が器用で、「道具」に興味があり、
昔籐の籠を編んで我が家に贈ってくれたこともあったという人です。
叔母さんにもサンカの血が入っているのか?
でもサンカにもっと近いのは私の兄だと思います。
兄は子供の時から山に分け入っていくのが大好きで、ジョン子という犬をお供に、
朝から晩まで一人で山遊びしているような子でした。
わらびのある所、ヤマメの釣れる所、熊の通った足跡・・・そんな話をよくしていました。
今でも時間を見つけては、近くの山に入っていくらしいのですが、
彼曰く、「本州の山は面白くない。低いから。」なのだそうです。
兄も手先が器用な人でした。
それはそうと、奥永源寺を見に集まった人の中に、京都の伏見から来たという男の人がいて、
帰りの列車でその人と一緒になりました。
私:「どうしてここにいらしたんですか」
彼:「近江地方に興味があるんですよ。」
私:「私も近江商人とかに興味があって、以前愛知川を訪ねたんですが、また来たいなあと思って。」
彼:「僕も以前仕事で近江地方をぐるっと回ったときに、いい所だなあと思ったんです。」
私:「ひょっとして秦氏のことご存じですか?」
彼:「知っています。京都にも秦氏と関係している所がいっぱいありますよ。」
ここで、「日ユ同祖論って知って・・・」と出かかったのですが、ぐっとこらえました。
いや、この時聞いておけば良かったなあ。
雰囲気からして、彼は何か知っているう感じでした。
この人は日本のものづくりの伝統を、父から子へという流れで伝承していくという活動に
携わっていると言っていました。
年齢にして40台中ばといったところでしょうか。
このやり取りを通して、やはり日本人のこの世代から、古代日本に対する関心が高まっていることを
感じさせずにはいられませんでした。
この奥永源寺、放置された政所茶の畑や、植林されっぱなしの杉の木、
空家化しつつある年代ものの住居など、手を掛ければよみがえりそうな感じの場所なのです。
山深~い感じはするのですが、東近江市の中心からはよく整備された道路が通り、
車で30分位で行けてしまうのです。
道路の脇にはすぐ渓谷が広がり、車をちょっと止めれば渓流釣りも簡単にできてしまいます。
是非うちの兄に住んでほしい場所だ、と思ってしまいました。
けれどもこの地方、閉鎖的ならしく、大阪から果樹園を手伝っている30歳位の女性が言うには、
女性の地位が低い!と嘆いておりました。
自分たちの文化や血筋を守るため、よそ者はある程度はじく必要があったのでしょうか。
素敵な街並みの背後には、人々のそのような思いが隠されていることを感じました。