かごめかごめ
かごのなかのとりは
いついつでやる
かごのなかのとりは
いついつでやる
夜明けの晩に
つるとかめがすべった
後ろの正面だあれ
つるとかめがすべった
後ろの正面だあれ
というわらべ歌がありますよね。
そういえば「籠神社」の「この」は、「かご(籠)」という漢字をあてているなーとふと思いました。
今回訪問してみると、三つ巴紋に無理やり修正されていました。
言われていた通りです。
ところで行ってみて分かったのですが、籠神社は亀の印象が強い神社ということでした。
なんと亀の上に乗っているんです。
この姿は浦島太郎の姿そのものですよね。
手にも何か持っていますね。亀の鼻先も意味ありげに光っています。
この人は海部氏のご先祖様で、神武天皇の大和入りを助けたそうです。
その時に亀に乗って案内したんだそうですよ。
その近くには亀の小さなプールがあり、中型の亀がいっぱいいました。
近畿地方の史跡を巡るにつけ、亀石や亀にまつわるものをたくさん見てきました。
これら亀の出所はここだったのでしょうか。
縁起の良い動物として、中国でも古くから亀は崇められていますけれども。
それで肝心の、かごめ歌の自分なりの適当な解釈なんですが、
「かごのなかのとり」
鳥は籠神社が大切にしてきた霊的な存在のことでしょうか。
「いついつでやる」
それが神様の働きによって、いつか解き放たれるということでしょうか。
解き放たれたら、霊的に日本人みんなが覚醒を始めるのかもしれません。
「私は終わりの時に、すべての人に私の霊を注ぐ」と聖書にあります。
「夜明けの晩に」
これって、なんだか終末っぽい様相を呈している言葉だと思いませんか。
曙の光がまさに差し込もうとしている直前の、お暗き時代を指しているように感じられます。
「つるとかめがすべった」
つるは何のことか分かりませんが、あの重そうな亀の像がゴゴゴ・・・と動く位の、
未曽有の大地震が起きる時のこと?
「後ろの正面だあれ」
これはもう後ろに隠れていたものが、主役として表舞台に出てくるということでしょう。
商人のような存在となり、経済的に都を陰から支えていたとか言われています。
神様を信じる人達も、決して自分をひけらかすことはなく、
あくまでも「人の足を洗うような」、脇役に徹することを良しとするような人達だと思います。
そのような歴史の陰に甘んじていた部族や、歴史の真実が、
ついに明かされるということなのでしょう。
そのようになれば、神様の働きをなすにふさわしい民によって、
日本の新しい国づくりの主導が始まるのかもしれません。
なんかこれを書いていて、自分でも少しドキドキしてきました。
この記事によると、
「鶴」の象徴は、「伊雑宮」である可能性が非常に高いと言えます。
と書かれています。
こうなったら11月に行きますよ、私は。
母とパワフルな大阪の叔母さんを連れて。
■調べていてさらにこんな記事を見つけました!
この方の記事はとても分かりやすいです。是非読んでみて下さい。