天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「教会」から離れる時

やっぱりというか今の集まりからも脱落してしまいました。
ここの集まりが私の最後の落ち着く場所だと信じていたのに。。。
どうしてこの時期にこんな風になってしまったのか不思議です。
そんなこと考えもしなかったのに。
 
事の発端は伝道師に「髪の毛を伸ばしてください」と言われたことでした。
「?????!!!!!」
 
新約聖書に「長い髪は女の誉である」と書いてあるということからでした。
結局少し言い争いのようになってしまい、
「子供のように素直な心になって目上からの教えを受ける」
というテスト(?)に不合格になってしまいました。
 
霊の世界では全てが自由だと、何の疑いも持っていませんでした。
そこへまさか「形」の話を持ち出されるとは。。。
あまりにもびっくりして、呆れて、訳が分からなくなってしまいました。
 
自分が我がままなだけなのか、従うべきなのか、
相手がおかしいのか、ひと月悩んで泣いて、離れるべきだという結論に
達しました。
そう思いたくなかったけれど、今まで受けた教えの中に宗教的過ぎる
ゆえに起こる無理解や、偏狭なバイアスがかかっていることに目が開けました。
 
聖書を一字一句大切に守るということを教えてくれたのは
この集まりからでした。神学校に行かず、教会という建物を持たず、
口伝と徒弟関係からイエス様の教えを伝授するという方法が好きでした。
ですので、純粋なものもたくさん見聞きしてきました。
財産を一切持たない伝道師を尊敬していました。
 
「本当の救い」を達成できるのは自分達のこのグループに
属している者だけ、という風によく言われることもずっとひっかかっていました。
 
一部では生活の中に新しいものを取り入れているのに、
一方では古すぎる習慣(文化?)をひきずっていることも。
 
社会とあまりにも接触を持たないようにして、分離の生活を唱えた結果、
このような狭い教えと習慣が残ってしまったのだと感じました。
 
人の救いのことなど構っていないで、まず自分の救いを達成すべき
という風潮が強くあることも気になっていました。
宗教的な温かな環境にいたのでは、周りの人への祈りさえ生まれて
こないと感じていました。
 
悪いことばかりではありません、むしろいい影響をたくさん受けました。
この10年密度の濃い教えをたくさん聞き続け、これからはそれを生かすべきと
感じました。
 
力のない自分にとって、小さな祈りだけが自分の武器と感じます。
今は荒野に出て戦ってくる時なのかもしれません。
放浪の旅はいつまで続くのか分かりませんが、
不思議と心が軽くなって、希望もあります。
これから自分と同じ目線で考える人に、どこかで出会う日が来るのでしょうか。。。