天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

仕事と地獄(笑)

マニアックな記事をずっと書いてきたので、今日は普通のことを
書いてみようと思います。

私の今の仕事は、インターネットを通して海外のメンズハイブランド洋服を売る仕事です。
きれいなものが好きで、色と形に興味があったことから自然と洋服が好きになりました。

しかし服業界に集まってくる人達を見たり、際限ない消費活動を見るにつけというか、
既にずっと前からそうだったのですが、かなり自分のやっていること、周りのやっている
ことに疑問があります。

かといって、この世の中にいる以上何か仕事をしなくては生きていけない。
しかし自分の心の深いところでは、本当は服なんかあまり欲しくなくて、
全てのことは最低限のもので満足だし、もっと人の役に立つ仕事がしたいと願っているわけです。
(本当は主婦になりたい!笑)

そうなると今の会社で働く資格まったくなしの駄目社員です。
社長や周りの同僚に申し訳ないです。
こういうメンタリティーのクリスチャンって多いのではないでしょうか?

私は中学生の頃は修道院に入ろうと思っていたし、
大学生までは行動しない理想主義者だった人間です(笑)。
これらは全て自分の弱さのあらわれだと思います。

今現実の社会の中で生きてきて、世の中がどんなに矛盾だらけで、暴虐があって、
欲望が渦巻いて、嘘ばかり、というような地獄のような有り様を見て、
その中で実際に生活してみて、自分の理想主義はもろくも崩れ去りました。
というか、自分の本当の心も地獄のようだということが、はっきりと分かりました。
また、自分のエセ信仰もすっかり化けの皮を剥がされました。

温かい思いやりや優しさなどの心を失くさないと
やっていけないという状況にいつも立たされていることを意識します。
よく周りの人に「もっと割り切りなよ」とか「周りのことをあまり考えるんじゃない」
とか言われますが、はっきり言って不可能です。
これを失ってしまったら、そこは私にとっても周りの皆にとっても
きっと針のむしろ(笑)です。

もし自分が主婦で(あるいは修道院で)、周りから守られた生活をしていたなら、
こういうことには気づかなかったでしょう。
また、死ぬか生きるかの真剣な祈りも生まれてこなかったと思います。
エス様が地上に降りてこられた苦しみが、一体どんなものであったのか、
少しだけ味わわせてもらっている気がします。

会社は社会の縮図だと言いますが、だとすればかなりの多くの人達が
今病んでいるように感じられます。
自分も半分病んでいます(笑)。
日本人の八割方病んでいるとしたら、これは異常なことです。

今自分がのんきにこれを書いている間にも苦しんでいる人々がいるのです。
からし種ほどの信仰があれば、山さえも動かせるとイエス様は
おっしゃいましたが。。。

自分が潰れるか悪魔が勝つか、はたまた神様が勝つか(?!)
エス様早く来て下さい!!と叫び祈る毎日です。