天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

聖白色同胞団を脱会した人の証言/和訳(20)

あと書き

 あるクリスチャンは何故私が一つの教会に加わっていないのかということを理解できないので「あなたはキリストの共同体の一部ではない」と言うだろう。

これは私に対して神が、教会の外で仕えよと言っておられた神の啓示を無視している。私は全て主イエスが救い主で購い主だということを受け入れている人は、キリストの体の一部だということを信じている。

もし私がただ伝統的な教会に吸収されていれば、確かにずっと簡単なことであっただろう。私はこれらの言葉を書くように、神から霊感を受けているということを信じる。

他の人々がニューエージについてよりよく理解できるよう、神が人間がニューエージに対してどのように反応するべきか願っているのかということの助けとなるために。

 信じていない者のこれに対する応答は、主イエス・キリストを彼らの唯一の魂のあがない主であり、救い主であるとして受け入れることである。

 信者は神の使いをサタン的な悪の源へと差し向けるために、積極的な祈りのグループを作るべきである。これは神がサタンよりも優った力をお持ちであることを認め、しばしば神に助けてくださいと請願するよりも、よい意味で神が使われるように頼むことである。

積極的な祈りの解決法に疑問を持つ人々に対して、私はただこう言おう。私が会員だった聖白色同胞団の特別なセクションのワールドリーダーは、私が彼女にキリスト教会のためのメッセージを受け取っていると伝えた時、「彼らはその力を使って私達を滅ぼしてしまう」と仰天したのだった。

彼女はサタンを恐れているのではなかった。何故ならサタンの守りの環の中に暮らしていたから。彼女が恐れていたのは、神の光が彼女と彼女のスピリットマスターの活動を照らすことであった。だとすると、彼女が退けていた教会のこの力とは何なのであろうか?

 それは祈りの力であった。それにより神の愛の光が彼らが秘密のうちにしていることを明らかにしたことだろう。彼の所に送られた愛する祈りと、他の同様なグループの祈りの向かう方向は彼らの霊の力を追い払うだろう。

エスを神の子であるということを否定するこの霊の力は、全てのニューエイジグループに共通するものなので、それは破壊されるべきものだという巨大な展望が必要とされる。

もしこれがなされたならば、試みたり、悪の結果から救済したりする必要は無くなるだろう(それによって、クリスチャンの救済者が、ただこれらの助けを必要としている人々の重みの下に倒れてしまうという結果に終わることがある)。

神の天使達を、世界中に浸透している悪を生み出す霊的存在の巣窟に送り出す積極的な祈りによって、その原因は取り除かれるであろうから。

 全ての人が理解するわけではないだろう。神は幾通りもの異なった方法で魂のところにやってくるから。そして私達の方法ではなく、神の方法によって彼に仕えるよう招かれている。

全ての人々が私の書いたこと受け入れないだろう。しかし、これらの言葉に心と魂が刺激を受けること、ある不信者が神を見い出そうと出発して、彼ら自身の経験-彼ら全ての最も大きな冒険-によって神と出会うことを願う。

 将来の大きな望みは、世界中のクリスチャンが悪の力はどこで働いているのかということと、私達の人生をコントロールしている者達がどこでその影響を受けているのか、たとえ彼らが政治家、ビジネス界のトップ達、子供や大人達の教師、宗教指導者、司法のメンバ-、他の人々に対して力を持っている全ての人々であったとしても、これらの人々が何を言っているのかよく注意して聞いてほしい。

 彼らの行動を十戒や山上の垂訓にあてはめ、これらの罪を推進している人々を、攻撃し取り除くのに、どんなに大きな努力が必要とされているのかが見えてくることだろう。

この努力は、ただ神の助けがあって達成され得る。初めに、私達の毎日の暮しから、神のものではない全てのものを取り除き救うため、もっとより神に向くように励ますことによって。これが起こるとき、繋ぎ合わされたクリスチャンの祈る者達は、私達を打ち負かそうとおびやかす悪の波に立ち向かい始めるだろう。遅れてはならない。今日神に向かおう。

 あまりにもたくさんの信仰、さらに加えて私達の中だけの信仰は、人間主義の海の中にぐるりと渦を巻き、多くの人々が望みもなく、過ぎ去っていくどんな浮いている破片にもしがみつこうとしている。救われたいとの願いを持って!

いくつの魂が「信仰の海」の中へおぼれて沈んでいくことだろう?誰が虚構から事実を見分ける力を持っているのだろうか?神は本当にいるのか作り話しなのか?全て考える人はこの考えを持っているし、時々ある人々は千分の一秒の間「清さ」を経験するのに十分な幸運を持つ。それは個々人の魂のために人生に真理をもたらすだろう。

 このページまで読んできた人々は、神について真理を見い出す道を歩んでいる途上にあり、そうとは気づかずに、しかしどんな出来事にも私は祈る。

私の経験があなたが既に知っていることを明らかにし、広げるのに役立ってきたことを。あなたが私達救い主イエス・キリストの腕の中に受け入れられるように祝福されていようがなかろうが。アーメン。