天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

パウロは偽使徒? 携挙の真偽(1)

急速に老人化が進み、気力やエネルギーが無くなってきているので、何でも時間がかかるようになってしまいました。色んなものが抜けていって(聖霊もか?)、干物っぷりがいよいよ顕著になってきました。この記事は未完でメモとして貼り付けておいて、後から修正したり書き足していこうと思います。

パウロは偽使徒なのだろうか?携挙の真偽はどうなのか?ということに関して、ただいま検証中です。パウロが偽の使徒であるなら、第一テサロニケ人への手紙で言っている、いわゆる「携挙」のイベントについても、彼自身が騙されて信じ込んでいる嘘の教えではないかという疑問が起こってきます。

どうしてそのように思ったのかと言うと、

1.大人になってからパウロの書いたものを読み直した時、その文面から激しい嫌な印象を受けた。自分がいかに正統性を有しているかを周りに納得させるため、さかんにラッパを吹き鳴らしているような気がした。昔自分が関わったことのある激しいキリスト者がいたが、その人にあることを伝えたら、「呪われよ!」と連呼されたことがあった。クリスチャンで人を呪う人を初めて見たが、その人のキャラクターにパウロがよく似ていると思った。

2.大学時代、あるノンクリスチャンの先生に、「聖書の四福音書は分かりやすいけれど、後ろの方のパウロの言っていることを読むと、訳が分からなくなり、混乱してしまう。」と言われたことがあった。その言葉が自分の中にずっと留まっており、教会の教えを受けていない一般の人の方が、バイアスのかかっていない素直な聖書の読み方ができるのではないかと思った。イエス様の教えはシンプルで誰にでも分かるはずのものであり、このように人を混乱させるとしたら、一体何が原因なのだろうと思った。

3.スエーデンボルグが「パウロが地獄に堕ちているのを見た」と言っているのを知っている。もしそれが本当だとしたら、パウロは最初は良かったが、途中で悪く変節したのではないだろうか。

4.あるクリスチャンが受けた神からの預言(そのように自分は感じた)に、「携挙は偽の教え」という言葉があった。聖書にそれが起こるとはっきり書いてあるのに、何故神様はそのように仰るのだろうと思った。これもずっと自分の内側に留まっている言葉だった。

5. 家族に、携挙についてどう思うか聞いたところ、皆「携挙には興味がない。それよりも他の教えのほうが大事」と言っていた。自分も全く同じ気持ちである。正直空中でイエスに会う、だから何?という感じ。

以下、パウロが偽使徒であると言っている人の日本人の方の記事を貼り付けておきます。これらを読んで、自分の中に落ちて来るものがありました。

パウロは偽使徒 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)

ペテロの第二の手紙の第三章の反芻。 | イエス様の言葉を反芻する。 (ameblo.jp)

また、以下はこれらの考えをサポートすると思われる、海外の人の書いた記事です。訳の変な所は後で修正します。類似の記事はたくさんあり、海外ではパウロ偽使徒議論がさかんなようです。パウロが道でピカーと照らされて、イエスの声を聞いたという回心のエピソードや、携挙の幻視を見た話も、悪魔的な宇宙人の仕業だと言っている人までいます。

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パウロの偽預言

フェミ・アリビサラ著

 

2017年7月17日

クリスチャンの「携挙」は、これまでも、これからも、ありえない。

モーセは、偽預言者を見分ける方法を教えてくれています。

「あなたがたは、『預言者のメッセージが本当に主から来たものかどうか、どうやって見分けることができるだろうか』と自問しているかもしれない。主が何か起こると言われれば、それは起こるのだから、あなたがたはわかる。そうでなければ、その預言者は主の代弁者であると偽っていたのだとわかるだろう。」(申命記18:21-22)

パウロは次のように述べています。

「主ご自身が、大天使の声と神のラッパをもって、叫び声を上げて天から降ります。そして、キリストの死者が最初に立ち上がるでしょう。そうすれば、生きていて残っている私たちは、雲の中で彼らと一緒に捕らえられ、空中で主に会うでしょう。したがって、私たちは常に主と共にいるでしょう。」 (1テサロニケ4:16-17)。

間違いなく、これは誤った預言です。パウロは死ぬことを期待していませんでした。代わりに、彼は主イエスによって、エリヤのように連れ去られることを期待していました。したがって、彼は、表面上は天国に「追いつく」ために、自分自身をそれらに含めました。しかし残念ながら、誰も「追いついていない」。

彼はフィリピの信徒に言いました。「主は近づいている」 (ピリピ4:5)

これもまた誤った預言です。 「手元にある」は即時性を低下させます。しかし、2000年前に「すぐ近くに来ている」と思われる主は、まだ来ていません。

イエスはこの種の誤った預言について、私たちに警告しておられます。彼は次のように述べています。

「多くの人が私の名前で来て、「私がそうだ」そして「時が近づいている」と言ってくるだろう。彼らの後を追ってはならない」 (ルカ21:8)

これは、「主が近づいている」と言うパウロのような人々は、信じられないということを、非常に単純に言っています。

パウロはさらに、「私たちは皆眠るわけではありませんが、皆変えられるでしょう。」 (1コリント15:51)

これも大きな失言であることが判明しました。彼がこれに取り組んだすべての人は、パウロ自身を含めて、死の眠りにつきました。パウロは自分の預言が差し迫っていることを確信していたので、クリスチャンにカウンセリングをしました。 (1コリント7:29)。明らかに、彼はイエスがクリスチャンを天国に連れて行くために、自分の生きている間に来ると信じていました。しかし、これは幻のようなものであることが判明したのです。

事実パウロは、世界が特定の日に終わりに近づいていると予測し、何も起きなかった今日の偽預言者と何ら変わりありません。時には、彼らは人々に、自分達の財産を売り払うようにと説得することさえあります。やがてその日が来ると、それが策略であったことを発見するだけのために。

第一テサロニケのパウロの預言が実現しなかったので、その遅れを説明するために、第二テサロニケで次のように書かれました。

「主の日がすでに来ていると言って、私たちから来たと思われる預言、報告、手紙によって、簡単に不安になったり、心配したりします。だれにも騙されてはいけません。その日になると反逆が起こり、不法の人が明らかになり、その人が滅びる運命にあるまでは来ないからです。」 (2テサロニケ2:1-3)。

これは下手な言い訳です。事実、2000年以上の間、クリスチャンが携挙されることはありませんでした。

非聖書的な携挙

パウロの過ちを認める代わりに、パウロの信奉者はそれを支持するため、偽の教義を作り上げました。 「携挙」と呼ばれるこの非聖書的な教義は、1830年にマーガレット・マクドナルドと、ジョン・ダービーによって造られました。これはその後、スコフィールド聖書によって普及しました。そこでは主がクリスチャンを天国に連れて行くために、「すぐに」来ると言っています。不信者は置き去りにされ、彼らは地上の苦難に直面します。

しかし、イエスは彼の追随者を苦難から取り除きません。代わりに、彼は彼らにこう言います。「しかし、心に留めなさい。私は世に打ち勝ちました。」 (ヨハネ16:33)。

実際、イエスの願いは、信者がこの世にとどまるべきであるということです。彼は神にこう言います。

「私はあなたが彼らを世の外に連れ出すことを求めませんが、あなたが彼らを邪悪な者から遠ざけることを求めます。」 (ヨハネ17:15)。

このため、クリスチャンの「携挙」はこれまでになく、これからもありません。

啓示によれば、信者は「地上で君臨する」運命にあります。 (黙示録5:10)。イエスはこう言われます。

「柔和な人は幸いです。彼らは地を受け継ぐからです。」 (マタイ5:5)

では、なぜ信者たちは地球から「携挙」されるのでしょうか。

イエスの教義では、義人が「置き去りにされる」間、「捕らえられる」(連れ去られる)のは、邪悪な人です。パウロの偽りの預言の正反対です。イエスはこう言われます。

「洪水の前の日と同じように、彼らはノアが箱舟に入る日まで、食べたり飲んだり、結婚したり、娶ったりしていました。人の子の到来があります。その後、2人の男が野にいます。1人は連れて行かれ、もう1人は去ります。」 (マタイ24:38-41)。

洪水によって「連れ去られた」のは邪悪な者であり、正義のノアとその家族は「取り残された」のです。イエスはその後、ノアのパターンが40年以内にユダヤ人に適用されると予測しました。

「この世代は、これらすべてのことが起こるまで決して亡くなることはありません。」 (マタイ24:34)。

では、イエスの預言によれば、「洪水」がローマ軍を経由してエルサレムにやってきたとき、西暦70年に「取り残された」のは誰でしょうか。 100万人以上の不信者-ユダヤ人は連れ去られ、虐殺されました。しかし、イエスの弟子たちは皆無傷でペラに逃げました。彼らは取り残されました。

イエスはこう言われます。

「人の子は天使たちを遣わし、彼らは彼の王国からすべての罪を犯すものと無法を実践する者たちを集め、彼らを火のかまどに投げ入れます。」 (マタイ13:41-42)。

繰り返しになりますが、不信者は西暦70年にローマ人に「捕らえられ」、ゲヘナのエルサレムの外で火の炉で燃やされた人々でした。

イエスはまた、次のように述べています。

「天国は、海に投げ込まれ、あらゆる種類のものを集めた引き網のようなものです。そして彼らは座って良いものを船に集めましたが、悪いものを捨てました。」 (マタイ13:47-48)

悪いものは捨てられたか、「奪われた」ことに注意してください。

邪悪な者の携挙

イエスは邪悪な者の「携挙」についてのみ語っていますが、パウロの偽預言は、義人の「携挙」について語っています。他の聖句はパウロに同意せず、邪悪な者に対する彼の携挙と矛盾しています。

詩編作者は次のように述べています。

「あなたが彼らを探しても、彼らは見つかりません。」 (詩編37:10)。

一方、

「義人はその地を相続し、永遠にそこに住む」。 (詩編37:29)。

ソロモンはまた、「悪しき者は地球から切り離されるでしょう」と言いました。 (箴言2:22)。しかし、彼は次のように述べています。「義人は決して取り除かれることはありません。」 (箴言10:30)。

それは、義人が決して「携挙」されないことを意味します。パウロが主張するように、彼らは空中で主と共に永遠に生きることもありません。パウロはどこから彼の教義を手に入れているのですか?彼はただそれらを薄い空気から作り上げているのです。知識のない人は賢明ではないと、私は確信しています。

Paul's bogus rapture - Vanguard News (vanguardngr.com)

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(管理人)

もしパウロが偽の預言をしていたとすると、マザー・テレサ詐欺や、コロナ詐欺が全世界を席巻しているのと同じレベル(?)で由々しきことではないでしょうか。もしパウロの「携挙」のイベントが、悪しき宇宙人(悪魔)から見せられていた幻視だとしたら、以前自分の書いたエイリアンによる偽携挙の話しも生きてくる訳です。

そもそも聖書の正統性って何?ということにも繫がり、聖書はローマカトリックが今の形にまとめたもので、東に移動した景教徒のような人達が持っていた考えは反映されておらず、片手落ちだ、みたいな議論にもなって来ると思いますが・・・

ところで正直に告白すると、未だに聖書を通読したことがなく、読む箇所と言えばイザヤ書ばかり、それで人に物を教える資格があるのかと言われれば、はい、ありませんと答えるしかありません。このブログも教え諭すためにやっているというよりも、皆で一緒に考えようというスタンスでやってきました。しかし、ここに書いた以上責任があるので、パウロの書いた手紙をあらためて読み直してみようかと思っています。

(つづく)