天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

教会とサタンの働き1

私は生まれたときから高校生まで家族と一緒に聖霊派の教会に通っていました。
現代でも異言や奇跡はあると、お説教の中で何度も繰り返され、
特に熱心に異言の賜物や、病気の癒しが求められていました。

信者は皆熱心であたたかく、素直な信仰を持っていたのが今でも印象的です。
牧師先生も決して言葉の上手な人ではありませんでしたが、素朴な人柄と
不器用でも私達に対する一生懸命さが伝わってきて、とてもいいなと感じていました。

ある時教会で会議があったとき、信者さんが先生のお説教はひどい、もう少し
勉強してほしいというような内容のことを指摘したようです。
それについて先生自身も悩んでいたのでしょう。
自分も勉強し直したり、新たな聖霊の力を得ないとだめだと思ったのでしょうか、
当時アメリカでトロントブレッシングとかペンサコーラとかでリバイバルが起きており、
そこの集会に参加したいと言われたそうです。

当時ペンサコーラやトロントでそういうリバイバルが起きているということは、
私自身はあまり関心がなく、記憶にも残っていませんでした。
しかし「リバイバル」「聖霊が雨のように下る」「聖霊の第3の波」「新会堂の建築」
などの用語が盛んに叫ばれ、それに関する集会もたくさん催されていた記憶は
あります。

私自身も異言を語るとか、癒しの経験はありませんでしたが、初代教会のように聖霊
現代にも働かれるというお話は好きでした。
聖霊派の出版社による図書がたくさんありましたので、よく借りてきては
「わあ、すごいなあ」と現代の奇跡について書かれた本を読んで感動していました。

アメリカから帰ってきた後、先生の様子がだんだんと変わっていったのに気がつきました。
先生の顔が土気色になり、お説教のときにダン!と机を叩いたり、声のトーンを明からさま
に変えてみたり、黒いサテンのガウンをはおったりしだしました。
バンド演奏が礼拝に組み入れられ、エレキギターやドラムも使われ始めました。

初めはマンネリ化(?)した礼拝の形式を変えて、フレッシュな感じにするのも
いいのかなあと思っていましたが、そのうちうるさく聞こえ出しました。

この頃、その教会に行ったり行かなくなったりしていたのですが、暫くぶりで行ってみると、
なんだか先生の温かい素朴さも損なわれ、信者さん達もだんだんとよそよそしくなって
いっているように感じました。特に信者さん達からは、態度や目つきから何か言いたいことが
あるのに言えないでいる、というような雰囲気を感じました。
家族で「なんか先生変わったね、信者さん達の雰囲気もなんかおかしいね」
とよく話していたのを覚えています。

浮気性(?)の私は家から近くの単立の教会(教団に属さない、先生が一人で立ち上げた
教会)に行くようになっていました。
そこでもやはり牧師先生がアメリカの集会に参加してから、礼拝の形式をがらっと変えて
しまったのに気づきました。
せっかく温かい雰囲気で礼拝が行われていたのに、平安がかき乱されたような気分になりました。
やはり先生もバンド形式の奏楽を取り入れ、黒いガウンをはおり始めました。
先生が「これを着ても笑わないで下さいね」と仰っていたのをよく憶えています。

そして「ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ!」とお説教の前に叫び始めました。
これを聞いて私は背筋が寒くなりました。(笑)

つづく