天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

焦燥感のゆくえ(1)

最近はひと月のうちでだいたい7~8割方調子が悪いので、

ちょっとした雲の晴れ間にこれを書くというパターンになってきました。

もうこのブログの店じまいも近いかな。

この1週間はひどい状態にありました。和歌山でも経験したような軽度の錯乱状態の

ような精神症状。一体何なんでしょうかねこれ。

しまいに寝ている時に悪夢まで見て、半覚醒で「イエス様!」と叫んでいました。

今日から意識が晴れ、少しづつ調子を取り戻してきているのですが、

以下の2つが原因として考えられました。

1.更年期症状がひどくなってきている(ホルモンバランスの不具合)

2.直近で偶像のことを祈った

2についてですが、確かに偶像のことを祈りましたが、

それが直接原因となって、自分に霊的な攻撃が来たとはあまり思えないでいます。

(結果として神様に届いていなかったと感じている)

だいたいそのような症状がある時に、霊的に戦うようなことを祈るのは

いかがなものかと思いますが。(だから祈るのか?)

何でもかんでも霊のせいにしたくないので、振り返ってみて

やはり1.が主たる原因として可能性が高いと思いました。

どうやら自分はPMSの中でも重症型のPMDDの症状があるらしいのです。

ホルモンの変動がこれに関与しているらしく、月に2回は気分の波が大きく来ます。

この間再び不思議なことも体験しました。先日God's carを見たと書きましたが、

朝方激しい神経の焦燥感で苦しみ、ふとんの中でうずくまって

ひたすら神様に向かって心の中で訴えていたら、

ある時点でスパっと焦燥感が止みました。

「・・・消えた」

更年期症状特有のこのイライラ感は、いつも数日掛かりで終息していく

ことが多いので、今回もそのパターンになることを覚悟していたのですが、

このようにはっきりと癒されたのはこれで3回目です。

するとすぐに床から出て朝の身支度ができるようになりました。

今回も神様からは何の合図もありませんでした。

祈りながら心のどこかで

「そんな都合よく治して頂けませんよね」

「自分が苦しむのは霊的修行のためだから、苦しむことに意味があるのだろう」

という気持ちがいつもあります。

しかしあまりにも焦燥感がぴたっと止んだので、かえって再びいつ

その症状が戻ってくるかを怪しみ始めました。

その上癒されたと思われるすぐその後で、昔見た劇画版「出エジプト」の

艱難を免れたパロのニヤリとした表情を自分の姿と重ねていました。

「神の癒しを軽く扱っていやしないか・・・?」

癒され慣れ?

しかし、それから焦燥感は再び戻ることはありませんでした。

その代わり、頭にヘルメットをかぶされたような、はっきりしない意識の状態が

出現し、そのまま今日に至るまでの約1週間が過ぎて行ったわけです。

(つづく)