天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

神様へのメール

神様に自分の訴えをひたすらメール形式で書いています。

その方が神様にもよく伝わるし(?)、伝えたという証拠が残り、

後から本当に応えて下さったということが確認しやすいのです。

自分が目を閉じて祈ろうとすると、関係ない事が頭に浮かんできたり、

集中できず支離滅裂になってしまうのです。

その点書いていると一点に集中できます。

祈りが苦手な方に是非おすすめしたい方法です。

異言で祈れるから祈りが湯水のように湧いてくる?

うらやましい限りです。

とりあえずこの方法が、今の自分の信仰のレベルに合っているみたいです。

最近書いた傑作が、

「神様、わかっています。私にとっては苦しむこと自体が仕事です。」

「苦痛を感じることが私の人生の主な目的ですね。」

後から見て笑ってしまいました。

ところで、前にもここに書いたMさんという障害を持つ女の子のことですが、

最近またもや危険水域に達してきていて、神様宛てのメールに

「彼女はいずれ自分の命を絶つかもしれません」

などと、彼女のことも一緒に書いていました。

私の職場では障害を持つ人がチャレンジで働くために、カフェを併設しているのですが、

彼女も3か月前にカフェの担当となったばかりでした。

そしてこのカフェの仕事が彼女にとっては曲者で、

自分が担当で入らなければいけない時は、かなり辛そうで嫌そうにしていました。

神様宛てのメールを書いた次の日、カフェの当番の彼女ともう一人の女性が

カフェの前で立っている姿を写真で撮る必要がありました。

いざ撮り始めてみて、

「あれ?なんかいつもより可愛く撮れるぞ。表情がいいなあ。

気分が悪い時は鬼瓦みたいな顔しているのに・・・」と思い、

「いいね!いいね!笑顔がいいわ!」と撮影していました(笑)

これを書いていて後から思い巡らしてみると、前の日は気分が悪い、無理、といって

カフェの当番を休んだのに、次の日は不自然にもすんなりとカフェに入れて

あの笑顔・・・おかしい・・・ひょっとして神様?

重い気分障害がある人に、あのような笑顔は無理に作れるものではありません。

キラキラとした笑顔の彼女の写真が、何よりの証拠です。

前に彼女のことを祈ったというか書いた時にも、同じような笑顔を見ることができました。

次の日にお願いしたことをすっかり忘れてしまう自分とは違い、

神様はちゃんと約束を守って下さる、誠実なお方だなあと思いました。

それにしても神様への讃美や感謝より、「ああして下さい、こうして下さい」と

いつも要求ばかりが多いこのメール。

神様読んでいてきっと疲れるだろうなあ。

だけどそうせざるを得ないよなあ。

高尚な祈りなどできない、これが自分の今の現実なのでしょう。

「私は人ではありません、虫けらです」

と言ったダビデの気持ちがよく分かる。

疲れさせるのであれば、いっそこれからは神様を笑わせるつもりで

路線をちょっと変更してみようか。