「ALBRTO」はこれで最終回です。
この次は「DOUBLE CROSS」を訳そうかなと思っています。
この次は「DOUBLE CROSS」を訳そうかなと思っています。
(漫画「ALBERTO」より)
集会の後、彼らは私を飛行機でパナマへ帰した。そこから私はスペインへ船で送られた。
同僚1:「リベラは眠っているぞ!」
同僚2:「彼がしたことに対し報いらせよう!」
同僚2:「彼がしたことに対し報いらせよう!」
これは私の人生の中で最も暗い時となった。
過酷な訓練によって彼らは私の心を変えようと躍起になった。
過酷な訓練によって彼らは私の心を変えようと躍起になった。
スペイン、バルセロナ
何ヵ月も費やしたが失敗した後、これが彼らの最終手段となった。
リベラ:「ここは?」
同僚:「これは狂った司祭達のための秘密の場所だ!」
同僚:「これは狂った司祭達のための秘密の場所だ!」
リベラ:「なんてことだ!」
彼の天の父への従順さにより、彼は十字架に上り私達の罪を洗い流すため尊い血を流して下さった。彼は非常な代価を払って下さったのだ。
神はそのひとり子を賜ったほどにこの世を愛された。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ3章16節
聖書は私達にはっきりと告げている。“しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座した。”ヘブル人10章12節
3日後イエスは死から甦り、今や天の父の右に座られているのだ。
私達はもう司祭や告解は必要としないのだ。なぜなら聖書はこう言っている:
「わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じようにしれに会われたのである。
だから、わたしたちはあわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」ヘブル人4章14節-16節
聖書は言う、「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」ヨハネ第一1章9節
だから私達はまっすぐにイエスの許へ行こう!神に感謝しよう!
私は人口呼吸装置を這い上って、自分の体からチューブを引き抜いた。
私が逃れて1週間後、それが信じられなかったが、私は自分自身マドリードへ行った。
見張り役の司祭:「リベラ神父か?」
リベラ:「そうだ!」
リベラ:「そうだ!」
神の言葉が彼の心に触れた。
驚いたことに彼は私のパスポートをくれ、スペインを離れることができるように書類をくれた。
見張り役の司祭:「アルベルト、一度この監獄を離れたら、二度と戻ってくるな!私はキリストが君の道を照らして下さっていると信じている。彼に従って行け。アルベルト!私のために祈ってくれ。手紙は書かなくていい。ただ私のために祈ってほしい。」
その夜私は自分のポケットに約40セントだけ持ち、スペインを飛び出した。私はその組織から脱出したのだ。
バチカンは茫然となり、私が彼らから逃れたということが信じられなかった。また今や私の人生は完全に変えられ、主に仕えるようになったということも。
ティム:「アルベルト。自分の教会に忍び込んだ者達を追い出すには、牧師は何をしなければならないのでしょう・・・いまだにローマカトリックはキリストに対して勝利しているのですか?」
リベラ:「さらに、全てにおいて最も難しいのは、ローマカトリックの信者がその信仰によって死んだなら、彼らは煉獄や天国に行くのではなく、地獄へ行くということだ・・・何故なら彼らの信仰は、キリストと、彼らの罪を洗い流すため流されたキリストの血によるというよりも、彼ら独自のシステムによっているからだ。」
ジェイムス:「一体誰がそのように説く勇気を持っているのでしょう?」
リベラ:「私だ!何故なら彼らを愛しているからだ。」
リベラ:「私だ!何故なら彼らを愛しているからだ。」
「わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、『わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないせよ。』」黙示録18章4節
リベラ:「私達はこの命のメッセージを、8億のローマカトリックの信者に伝えなければいけない。彼らはカトリックの組織からバール崇拝へと巧妙に騙されている。私は彼らに対して同情する気持ちを持っているのだ。」
ジェイムス:「どのようにして伝えるのですか、アルベルト?」
リベラ:「分からないよジム・・・ただ神だけが、それがどのようになされるのかをご存知なのだ。」
リベラ:「分からないよジム・・・ただ神だけが、それがどのようになされるのかをご存知なのだ。」
(終わり)