「神様、行くの嫌です。」
と祈りながら電車に乗って、伊勢志摩へフォーラムのお手伝いに
向かったのが年おととしの3月でした。
この時、自分の本心は行きたくないと言っているのに、一方では行かなきゃならない
という二律背反の心で、苦しみを感じながら向かったのを覚えています。
それから二回目に行く時も、まだ本当に神様が伊勢志摩に行けと仰っているのか疑問で、
「あなたがここに行けと仰っているのですか?」
とメールに書いたり、ぐずぐず思ったりしていました。
その時、レンタカーを借りて伊勢志摩に向かったのですが、
お土産を買おうと思って立ち寄った場所の駐車場で、
振り向くと、そこに「8888」のナンバープレートの車が止まっていました。
実はこの数字にはある思い入れがありました。
職場が処刑場のように感じて、バスの中で絶叫の祈りを捧げていた時も、
見知らぬ街で寂しくて、「あなたがいるなら存在をお示し下さい」と
祈っていた時も、祇園祭の見学会の打ち合わせに奔走していた時も、
ばっと見ると、そこには8888のナンバープレートの車が現れました。
私の勤め先は「うなぎの寝床」で有名な、
京都のど真ん中にあるのですが、やはり建物が狭く密集している場所なのです。
その地域に、会社で契約している駐車場もありました。
会社の車には滅多に乗らない上、その駐車場も出し入れが超難しい縦列駐車タイプで、
職場の誰もが(うちの職場は皆女性です)車に乗るのを嫌がっていました。
自分も普段車に乗らないので、運転が得意とはお世辞にも言えず、
できるだけ会社の車には乗りたくありませんでした。
ある時仕事で車に乗る必要があって、その駐車場から車を出す時、
両脇に車が止まっていました。
それは帰って来る時に、2つの車に挟まれたスペースに駐車しなければならない
ということを意味していました。
しかもその時雨が降り始めており、最悪のシチュエーションとなりました。
何のことを言っているのか判らない、という男性のために説明しますが、
女性は一般的に言って、縦列駐車が苦手なのです。
大いに車をぶつける自信がありました。
「神よ、帰ってくる時までに両脇の車をどかしたまえ!」
と必死になって呟きましたが、この時も、帰って来る前に2台も目の前に
8888のナンバープレートの車が現れました。それを見て、
「もしかしたら、これは大丈夫だということかもしれない。」
と思いました。帰って来ると、果たして両脇の車はいなくなっていました。
別の話しもあります。
この時は甚だしくて、朝の通勤コースのある同じ区間で、
4~5日連続で8888の車が向こうからやって来て、
シャーっと自分の脇を通り過ぎるのを見ました。
この確率はすごいですよ。通勤の同じ車が、同じ時間帯にここを
通るのかなと思って、睨みをきかしていたら毎回違う車でした。
ちなみに、私のアパートの斜め向かいの電柱にも、8888という数字が書かれたチラシが
破れた状態で貼ってあって、ここにもあるか!と思わず苦笑してしまいました。
そんなわけで、「何か天使が励まそうとしてくれているのかな」
と思うようになり、この数字を発見すると
神様に見守られているようで、安心した気持になりました。
しかしあまりにも見るので、
「もしかしたら悪い霊のいたずらかもしれない」
と警戒し出しました。
そうしたらある時知り合いの人から、
「8は神を表す数字です」
と書いてあるメールが来ました。
八=ヤー=YHA =ヤハウェということなんだそうです。
それ以来このナンバーを見かけると、「GOD'S CARだ!」と自分の中で言っていました。
ですが、こうなると8888を意識し過ぎて、
だんだんと逆に自分の方から探し始めるようになったので、
何か嫌な癖ついちゃったなと思うようになりました(ヒマ人)。
これらのことを自分の中だけにずっと留めておいたのですが、
やはり誰かに話したくなって、母にこのことを言いました。
「そんな現象を追うのは止めなさい。」
「追っているわけじゃないよ、だって勝手に目に飛び込んで来るんだもの」
関西方面では縁起をかつぎ、八という末広がりの数字が好まれるのだそうです。
しかしこのナンバー、その道の人達が好んでつけるナンバーでも
あるとの情報も出てきました。
ゾロ目をよく見る現象は、エンジェルナンバーとも言われているみたいです。
そう言われるとスピリチュアルっぽくて、
この現象に対し、冷めた目で見るようになりました。
それからは急速に私とGOD'S CARの距離は開いて行きました。
頭痛くなってきたのでまた明日。
(つづく)