天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

酒鬼薔薇聖斗事件は冤罪(2)

(犯行声明文が入っていた封筒。
エアメールと同じように、最初に宛名、次に住所が書かれている)

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A.「三年生になって」

三年生になり、二年の時とはちがうところが数多くありました。テストの数もふえ、勉強もむずかしくなるんだと思います。二年の時はあまりライフを書くことがなかったのですが、三年になるとほとんど毎日書かなければならないようです。このクラスはほとんど話したことのある人ばかりですが、中には話したことがない人も少なくありません。自分から話しかけ、はやくうちとけていきたいと思います。昨日三年になりはじめての日番をしました。日番朝集にも間に合い、その他の仕事もきちんとできました。一年の時は忘れ物が多かったのですが、二年になりかなりへりました。だから今年も忘れ物をしないように努力していきたいと思います。それに、これまではそうじをダラダラやっていましたが、最近テキパキとできるようになってきました。今年は、一度も授業を受けたことがない先生も何人かいましたが、早くなれていきたいと思います。何事にも努力をし、充実した一年間をすごしていきたいと思います。

(A少年が中3になった直後に書いた作文・1997年4月)

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B.「神戸新聞社へ」

・・・しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない。だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない。そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」
その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。・・・

(第二挑戦状の一部・1997年6月)

酒鬼薔薇聖斗が書いた作文・犯行声明他

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(管理人)

上のA、B2つの文章を比較して読んでみて下さい。これらが同一人物によって書かれたと思う人がいるのなら、その人はよっぽど物分かりが悪い人なのだと思います。ですが、当時警察もマスコミも、どちらもA少年が書いたと言っているのです。Bの文章にばかり注目して、A少年はすごい文才の持ち主だと、文学者までもが褒めそやしています。いかにこうしたメディアが適当かが分かります。

今このように比較してみると、上の文章は国語の成績が2だった中3の少年が書いたに相応しく、下の第二の挑戦状は、明らかに、ある程度人生経験を積んできた別の人物が書いたものだということが分かります。しかも文中には「国籍がない」「透明な存在」など、犯人像を示唆するキーワードがあちこちに散りばめられています。

ところで去年、酒鬼薔薇聖斗事件の全ての記録が破棄されたというニュースが流れていたのをご存知でしたでしょうか?日本全土を揺るがすような特殊な事件の記録は、今後の参考のためにも永久保存されるべきと決まっているにも関わらず、密かに神戸の家庭裁判所によって全て破棄されていたのです。警察内部にいる真の犯人グループの一人が、自分達に繋がるような痕跡を残すことがないように、金輪際世から記録を消し去ったのだと思います。

「A少年は冤罪か」という2002年頃の2ちゃんねるのスレッドを読んでいたら、「この事件は革マル派がやったのだ!冤罪と考える人間はバカだ!」と、A少年の冤罪を主張する人に対し、終始異様な執拗さでくってかかる人がいました。これを見た人は誰もが、「ああ、革マル派が仕組んだのではなく、あなたが真の犯人の関係者なんですね」と思ったに違いありません。事件から既に5年も経過しているのにこの執念深さです。

ネットでは、事件が起こった神戸の須磨地区は共産党の力が強いという情報がやたらと目につきましたが、これもまた真の犯人グループが自分達の姿をくらますため、上の革マル派の話と同様、そのような情報を振り撒いたのだと思われます。ススキノの首持ち去り事件と同様です。日本人にとってイメージの良くない「共産党」という言葉は、彼らのような犯罪者にとって責任をなすりつけるのに都合のいいキーワードなのではないでしょうか。

1995年3月に地下鉄サリン事件が起きた時、オウム真理教のメンバーの犯行とみなされ、彼らに対して大規模な捜査が行われました。ロシアを通して流れてくる資金・麻薬のルートから、オウム真理教の背後にはCIAがいるのではないかという声もささやかれ始めていました。

その矢先の5月、警視庁の国松長官が出勤のため家を出た瞬間、狙撃されるという事件が起こりました。国松長官は奇跡的に一命を取り留め、真っ先にオウムのメンバーが疑われました。

この事件では、事前に国松長官の自宅を下見する、二人の警察官がいたことが報告されています。その時の巡査部長がオウム真理教の信者で、時効の6年前に「自分がやった」と自供して来て逮捕されましたが、神田川に捨てたという犯行に使ったピストルが見つからず、結局証拠不十分として不起訴になっています。

後に、東大を中退した中村という殺し屋が別件で服役中、死期近くに「あの時の狙撃犯は俺だ」と告白し、NHKでもそれを大々的に特集する番組をやっていました。しかしこの人物はオウムとの繋がりはなく、動機の上でも弱いとされ、本当の犯人ではないのではという声も出ていたのです。

どうしてこの話を持ち出したのかというと、国松長官は1980年代に兵庫県警の本部長をやっていた過去があるのです。酒鬼薔薇事件が起こったのは1997年5月30日で、国松長官の狙撃事件のちょうど2年後なのです。

国松長官の狙撃事件の時に、Nという警視庁の警備部長がいて警視庁警備部 - Wikipedia(22番目の人物)、長官が撃たれてしまったことから訓戒処分を受けたということです「酒鬼薔薇事件」18年目の真相…犯行声明文は警察が作成!?(後編) - ライブドアニュース  しかしそのNが、今度は兵庫県警の捜査本部長となり、酒鬼薔薇聖斗事件の調査の陣頭指揮に当たっているのです。このN何か恣意的な人事が働いているように見えないでしょうか?

一つの可能性として、酒鬼薔薇聖斗事件と同じ犯人グループがNという人物を使って、国松長官の警備を手薄にさせ、その命を狙ったのではないでしょうか。このNこそが、兵庫県警の内部に潜入して、酒鬼薔薇事件の情報を撹乱し、A少年を取り調べた警官と検察官に指示して、A少年に対する冤罪の大本となった調書を作らせた張本人だったのではないでしょうか?

ちなみに国松長官は酒鬼薔薇聖斗事件が起こる2ヶ月前に、警察庁を退官しています。オウムを執拗に追いかける国松長官は、彼らを背後で操っていた者達にとって目の上のたんこぶだったに違いありません。もしオウムの背後にCIAのような存在がいたとしたら、警察の上層部で超法規的な人事が行われていても不思議ではなく、Nを兵庫県警に移動させるなど訳ないことです。

何度も書いているように、CIAはイエズス会の出先機関と言われ、もし酒鬼薔薇聖斗がそのような組織と何らかの関わりがあったのなら、犯行声明文や犯行の手口に、西欧的教養や悪魔崇拝の素養が滲み出ているのも合点がいきます。イエズス会の上層部は悪魔崇拝を行っていると内部関係者が告発しているからです。

酒鬼薔薇聖斗の犯行グループの中心人物が、日本に入り込んだそうした家系の血を引く者の一人であると想像することもできます。彼自身、幼い頃からそうした機関の実験材料であり、洗脳を受けたりした犠牲者であったのかもしれません。

「酒鬼薔薇聖斗の告白」や「絶歌」といったいわゆる告白本は、A少年によって書かれたものではなく、真の犯人が執筆したか発案・監修したものでしょう。自分は「絶歌」は読んでいませんが、事件を物語仕立てにした「告白」の方をさっと読んでみました。犯人の心理を克明に追っており、「どうしてこんなに詳しく書けるのだ」と訝しく思いました。実はこれを書いたのは、河信基(ハ・シンギ)という、当時52歳の兵庫県出身の韓国系の人物で、ジャーナリスト出身の当時朝鮮大学の教員なのです。

当時これらの本によって、A少年が犯人だという確固たるイメージが日本人の中に植付けられたはずです。このような本を出版するというのは、無実のA少年に地獄の底まで罪をなすりつけるような、非常に悪辣な行為だと思いました。ただ自分はこれを読んで、悪魔主義者(と思われる)にも彼らなりの苦しみややるせなさがあり、強い承認欲求があるということを感じました。

【参考】

新潟県警本部長以上に罪が重い警察庁 (kcn.ne.jp)