天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

星は空から落ちない:聖書における天体の比喩(4)

その他のシンボリズムの例

旧約聖書の預言書には、邪悪な国々に対する神の裁きを象徴や比喩で表現した例が他にもたくさんあります。

ミカ1:3-4

サマリアとエルサレムに関する託宣

見よ、主はその場所から出てこられる。
降りてきて、地の高い所を踏みつけるだろう。
そして、山々は彼の下で溶ける。
谷は裂け、火の前の蝋のようになる。
険しい所を流れ落ちる水のように。

預言者ミカは、ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、主の言葉を告げ知らせました。この箇所では、神が「地の高い所を踏む」「山が溶ける」「谷が割れる」という象徴を用い、イスラエルとユダのそれぞれの首都であるサマリアとエルサレムに、偶像崇拝、不正、不道徳を罰するために実際に下された、神の審判を描写しています。

イザヤ34:3-4

ボズラとエドムへの裁き

山々はその血で流れる。
天の軍勢はすべて朽ち果てる。
空は巻物のように巻かれる。
彼らの軍勢はすべて倒れるだろう。
葉が蔓から落ちるように
イチジクの木から落ちる葉のように。

預言者イザヤは、バビロンを支持し、イスラエルの民を敵視していたエドムの首都ボズラに、神が裁きを下すことを宣言しています。イザヤは、「山が血で流れ」、「空が巻き上がり」、「彼らの軍勢が倒れる」という終末論的な誇張表現を用いています。

ボズラとエドムの運命について、Bible History Onlineは次のように述べています。

「1700年以上にわたって民族として存在した後、彼らは完全に消滅し、その言語さえも永遠に忘れ去られた。ペトラでは、『王たちが宮廷を保ち、貴族たちが集まっていた場所だが、そこには人は住まず、鳥や獣や爬虫類にくじ引きで与えられている。』 と歌われている。」

ラッセルはこう言っている。

「ボズラの運命が、これほど高尚な言葉で適切に表現されるのであれば、エルサレムの運命を表現する際に同様の言葉を用いることは、なぜ贅沢なことだと思うのだろう。」(p.65)

結論

新約聖書には、キリストのパルーシア再臨(別名「再臨」)を描写する、劇的で不吉な箇所がたくさんあり、次のような象徴や比喩が使われています。「『星』が落ち、『太陽』と『月』が暗くなり、『天』と『地』が燃え、溶け、『死』と『破壊』が至る所に起こる。」と。

未来派は、これらの聖句が将来、全人類と物理的な地球と太陽系が最終的に滅びることを預言している、と誤解しています。このような終末論は、朴訥な直訳主義に基づくもので、旧約聖書のヘブライ語聖典が、しばしば「終末論的」な表現を使って、破壊的な政治、社会、宗教の激変を描写していたという事実を無視しています。

イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、アモス、ヨエルなどの預言者たちは、イスラエル(アッシリアに滅ぼされた)、エジプト(バビロンに滅ぼされた)、バビロン(ペルシャに滅ぼされた)など、邪悪で偶像崇拝を行っている国を、裁いたり罰するために、神が「来たとき」の、神の驚くべき威厳と力を表現するのに、誇張表現や比喩的表現、象徴や比喩を用いていました。

同じように、新約聖書の預言も、同じような誇張や比喩的な言葉で表現されており、文字通りに受け取ることを意図していません。旧約聖書の預言者と同じように、イエスとその使徒たちは、ヘブライ語の象徴と比喩を使って、イスラエルの最後の邪悪で倒錯した世代、つまりイエスを十字架につけた人たちに降りかかろうとしていた、神の素晴らしい威厳と力を伝えようとしました。人の子は、敵(旧約イスラエル)を滅ぼし、永遠の新約の恵みの王国(新エルサレム)を確立するために、「天の雲に乗って」来ようとしていたのです。このことは、AD67-70年のローマによるエルサレム包囲と破壊において、最終的に達成されました。

(おわり)

Parousia Fulfilled ‐ Symbolism & Metaphors よりDeepLで翻訳しています。

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(管理人)

旧約聖書の預言を初めて読む人は、「これって終わったことなのか?」「これから起こることなのか?」と、不思議に思うのではないでしょうか。信仰のある人ならなおさら気になると思います。旧約聖書を歴史的記録として扱う研究者などは、「既に終わったこと」として読むのが普通なのかもしれませんが。

旧約聖書の預言を未完のものとして、これから起こることと見なす人達のことを、「未来派」と言うのですね。教会で色々教えられているうちに、これらの預言は「これから未来に起こるのだ!」と思い込まされ、「これって終わったことなのか?」という最初の素朴な疑問をふっとばして、何でも未来の出来事に紐づけて見てしまうようになるのではないでしょうか。厄介なことに、「歴史は繰り返す」という側面もあるので、あらゆる時代に旧約聖書の預言があてはまるように思えてくるのです。

聖書を読むとき、「神様の気持ちさえ分かればそれでよい」と思ってきましたが、こと預言の解釈となると、聖書は意外と難しく、高度に詩的な文を、ヘブライ的信仰の概念や、歴史的知識を駆使して読みこなしていく力がないと、とんでもない的外れな解釈を叩き出してしまう恐れがあります。当時、聖書の解釈にラビ達の意見が必要とされていた理由が分かります。

その一方、神様とイエス様のおられる天界では、地上の現象では比喩で表現されていることが、「天は巻き取られる」のように、字句通りの形で展開しているのではないかとも思います。あちらは精神が中心となる世界なので、何か変化が起こる時は、地上より純粋で激烈な形になるのではないかと思うからです。

実は「聖書研究」とか「聖書の学び」とかいう言葉が嫌いで、教会員時代はそのような集まりに出たことはほとんどなく、参加しても上の空でした。今こうして海外の信仰ある人々の優れた論文を読んで、「へーっ」とか「ほーっ」とか思わされているのですが、昔は一部の神学者や研究者、英語の文献を読める人などに限定されていた知識を、一般の我々にも手軽に得られるようになったことは、不思議で有難いことです。

今回ご紹介したケネス・ヒッグスさんの文章ですが、『パルーシア フルフィルド(再臨は成就した)』というHPから引っ張ってきたものです。このHPでは「未来派」の考えを正す記事が、たくさん紹介されています。信仰者は自分が掴んだ悟りを、ひたすら固守するきらいがありますが、真理へのアプローチの仕方は人の数だけあって、一人の見方に限定されるべきではないと思っています。なので、このような考え方をする人がいるということも、一つの物の見方として、覚えておいてもよいかなと思うのです。

ということで、次回からは『パルーシア フルフィルド』のサイトから選んで、少しづつご紹介したいと思います。(こんなに勝手に人の書いた記事の翻訳を載せて、そのうちクレームが来るかもしれない・・・)