天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

人生の課題を乗り越える

危険きわまりない京都での旅も来月の8月でまる3年目を迎えました。

やりたいことは大体し終えて、もういつ死んでも心残りはない感じになってきました。

大学を卒業してからというもの、自分の持ち味は家庭の主婦として生きることで一番生かされる、

と信じて生きてきたのですが、どうも人生の歯車がそっちの方で

噛み合って行きませんでした。そのため、自分の苦手なことばかりしてきたというか、

家庭の主婦の身分では絶対味わえないような、仕事や生活のスリルを味わってきました。

幼い頃はいつも人の陰に隠れて、できるだけ目立たないようにひっそり生きていたのが、

このようにスリル満点の人生を味わうことになるとは、思いもしませんでした。

大そうな信仰者ではありませんが、神様と二人三脚で歩んできた結果なのかもしれません。

得意なことはあまりしなくていいから、課題となっていることを潰せということなのでしょうか。

もう何度もこのブログで取り上げている、テオドール・イリオンの冒険談のことですが、

その最後の方にこのようなエピソードがあります。

イリオンが地下都市を脱出した後、霊的攻撃を受けて半殺し状態になりながら、

チベットの賢人達に助けを求めて叫ぶのですが、力尽きる一歩手前で、

賢人達が彼の声を聞きつけて、駆けつけてくれます。

血だらけになった彼を介抱しながら、彼らはイリオンがこのような目に遭うのは

事前に分かっていたけれど、あえて止めなかった。

「止めてしまうと、このような人生の貴重な学びをすることはできなかっただろう。」

と言っていました。生還した後、ドイツで地下都市のことを暴露したので、

早々と彼らに殺されてしまったのだろうなと思っていたら

チベットの旅に出たのは30代半ば位)、80過ぎまで生きていたみたいで、

どうやら人生を全うできたようです。

自分の場合も楽な人生の選択肢はこちらの方だとよく分かっているけれど、

ズタズタになりながら、あえて困難を伴う方を選んでしまいます。

母もパワフルな大阪の叔母も同じセリフを言っていたので、これは血のなせるわざか。

ですがリアルな体験を積むことによってしか得られない、

やり切った感とか乗り越えた感があり、心は澄み渡る青空のようです。

今障害を持った方と一緒に働いているのですが、

彼らと身近に接するというのも自分の課題でした。

何年も前のことですが、教会に来ていた盲目の人を道で見かけたのに、

話しかけるのが面倒で彼を無視して通り過ぎたということがあり、

その後強烈に申し訳なかったという感覚に襲われたことがありました。

それ以来障害のある人を避けてはいけない、という意識が生まれました。

この課題はいつか乗り越えなければならない、とずっと思っていました。

確か小学2年生のときの作文に、「幼稚園の先生になりたい」と書いていたのですが、

今こうして障害者の施設で働いてみると、まるで自分は幼稚園の先生みたいだ

とよく思います。もしかしたら子供のころの願いが叶っているのかもしれません。

障害者の施設なんて大変だね、と思われる人も多いかもしれませんが、

素のままに振る舞う彼らの様子を見ていると、天使みたいだなと感じます。

どろどろとした健常人といるよりも、素のままの彼らと接するのがよっぽど楽しく、

面白がって働いています。(施設の経営者と接する方が辛い!)

またこれらの日々の業務に加え、来月から子ども食堂という、

子どものためにご飯を食べさせ、勉強を見るという新しいプロジェクトが

自分の職場で始まることになりました。

それを現場で動かす役目が、責任者として自分に与えられました。

ところで、昔テレビで見て心が激しく揺さぶられた番組があったのですが、

みなし子の赤ちゃんが里親体験をするために、

ある家庭に預けられたということをやっていました。

その赤ちゃんは愛の受け取り方を知らず、里親に抱かれてどうしたらいいかわからず

不安になり声を上げて泣いてしまいます。

ですが、何日間かして里親にも慣れ、また元の収容施設に帰らなくてはなりませんでした。

里親から離れるとき、キラキラしたとても美しい笑顔になって戻って行きました。

戻って行きました!!!

その時のキラキラした笑顔がやるせなく、また親のいない状態に戻るという残酷さから、

非常に悲しくなりテレビを見ながら号泣しました。

それ以来みなし子の赤ちゃんとか子供が、自分の心の中にいました。

こういうことをずっと考えていると、いつかその役が回ってくるのかもしれません。

悲しいことがあったり、苦しいことがあったりして、

心が閉じてしまった子どもと心を通じ合わせるようになる、

というのが自分の長年の願いでした。

この前は子ども食堂をやる前に、夢の中で子どもと喋っていました(笑)

20代の最後の頃、友人に

「自分の最後の様子が見えるが、『おばあちゃん死なないで~~』と

たくさんの子供に囲まれて死んでいく姿だ」

と話していたことがありましたが、どうやらそれが少しづつ現実化してきているようです?