先日紹介した好きな音楽、サンディー・ラムの「讓我笑吧」ですが、
7年前にもこの日記で紹介しており、気づかずまたもや紹介してしまいました。
よっぽど好きなんでしょう。
鴨志田さんはここで男性に対する羨望から、女性が仕事していると書かれていますが、
「(人間、皆と同じように)働かなくてはならない」という、
社会的な同調圧力から働いている人の方が、実際は多いような気がします。
今さかんにネット上で言われているように、女性は男性の半分のセロトニン量
しかないのだそうです。このセロトニンというのは、幸福ホルモンともいい、
気分を安定させる働きもあるそうです。
それだけとっても、いかに女性が男性よりも弱く作られているかが分かろうというものです。
女性が仕事の最中、すぐにキーキーするのも納得です。
やはり男性並みの仕事量やストレスを女性に与えるべきではありません。
(ちなみに日本人の脳は世界で一番セロトニンを受け取りにくい=不安になりやすいそうです。)
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今日、日本の女性は病んでいる。本来の女性を見失っている。
これはひとり日本だけの現象ではなく、先進国のアメリカにおいてもしかり、
また、ヨーロッパにおいても決して例外ではない。
特に戦後、アメリカの風潮を猿マネ的に受け入れた日本においてはなおさらである。
そして、エリート・コースを歩んでいる家庭の中に、どんどん身障児が増えているのも
皮肉な現象である。
世の中には精神病者が氾濫している。しかも病院に入院した精神分裂症患者が退院して、
社会に復帰出来るのは、わずかに十人に一人であると言われる。
したがって、精神的疾患-分裂症-にかかったら社会に完全に復帰出来ることは、
不可能と考えて良いであろう。このような状態になれば、本人の不幸はもとより、
そういう患者をかかえた家族というものは、どんなに不幸の巻き添えになるかは、
周囲の想像を絶したものがある。
精神的疾患を生んでいく女性の現実は、決してその原因が偶然にあるのではなく、
遠く深い原因があることに気づかねばならない。
女性が本来の女性の価値というものを見失っているのである。
女性の不幸の原因は、女性が男性のマネをしようとして、男性羨望症
― 女性であるこのへの不満 ―から背伸びをして、男性と肩を並べて職場で
仕事をすることが、進歩的であり、文化的であり、合理的であると考えた
迷信にあるのである。
ここで誤解を招くのを防ぐために、申し添えて置かねばならないことは、
私は決して女性が職場に進出して働くことが絶対に良くないと言っているのではない。
女性が職場において、男性同志の競争意識や闘争心を柔らげ、明るい雰囲気を
醸しだすための潤滑油としての役割を演じていることの功績も、
決して見逃してはならない。
女性が職場において働くことによって、健康を維持し、女性らしい温かさ、
柔和さ、細やかさ、優雅さなど、女性としての魅力に輝きを増すような勤務で
あるならば、大いに結構であろう。しかし、職場で働く一部の人達を除いて、
多くの女性は、家庭の経済的事情によるものであるが、それらの女性は、
職場においての過労や通勤の疲労により、肉体的に障害を起こすばかりでなく、
精神的に女性的魅力を失い、ヒステリックで冷感症的な女性に移行して、
中性化していく傾向が著しい。このような状態になれば、女性の職場への進出は、
女性の幸福にとって、大いに危険視されればならないのである。
(おわり)
「愛の創造」(鴨志田恒世著)P.104-105