天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

魔が去るとき戻るとき(3)

そしてついにその時がやってきました。

こちら側のある失敗があって、その人が(多分)激怒したのです。

失敗といっても、こちらから見るとささいなことでした。

しかしその人にとっては大問題だったのです。

その時、その人が何を大事にしているのかが、はっきりと浮き彫りになりました。

美しい言葉で信仰のことを色々と書いて送ってきたのですが、

結局神の目よりも人の目を気にしているんだと思いました。

その人は最近会社を立て続けに三回辞めて(辞めさせられた?)おり、

神に真剣に従う自分はやがて殉教することになるだろう、

その覚悟はできている、とよく言っていました。

その覚悟ができているなら、今回のこの問題などほんのささいなことで、

大きく騒ぎ立てる程のことではないはずです。

会社をどんどん辞めるのも、サタンに攻撃されているからじゃなくて、

その人自身に問題があるからじゃないのか、と怪しむようになりました。

最終的にはこの問題が起きることによって、その人の方から袂を分かちますと言ってきました。

この人は自分こそが正しいと考える、宗教家の典型のように思えました。

真理は一つですが多面的であるとも思います。

その多面的な部分をこの人は受け入れることができないんだと思いました。

私のやることなすことが気にくわなかったようで、よく平安がないと言っていました。

その人の霊感の源は、やはり異なる霊だったのでしょう。

それにつけてもこの人の受けた「聖霊バプテスマ」、一体いつどこで受けたのか。

神様ご自身がこの人に気づかせて下さるよう祈りますが、

反面自分自身もこうなる恐れがあるのだと思います。

自分の本当の姿を見つめるのは痛みを伴う大変な作業ですが、

これを放って置くと、いつしか人は勘違いするようになってきます。

いつも清い霊だけが自分の内側を吹き抜けるようにしたいものですが…