天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

魔が去るとき戻るとき(2)

「汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。

そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、

そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。

そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、

そこに住み込む。」(マタイ12:43-45)


その人から邪悪な霊が出ていったのを感じましたが、

たとえ他の人のとりなしによって、いっとき出ていったとしても、

その人の心の中が根本的に変わっていないと、また同じ魔が戻ってくると知っていたので、

心の底からは手放しで喜べませんでした。

今回のことで、その人の本来の姿はとても人に配慮でき、思いやりがあるはずなのに、

ある時点で邪悪なものを引き寄せてしまった結果、悪い性質を強めてしまった、そんな印象を持ちました。

さて、しばらくたったある日、その人からメールが来ました。

案の定、前よりもエスカレートした内容で、私に対する嫌味とも批判とも取れる微妙な内容が書かれていました。

確かにもっともなことを言って、親切にアドバイスするかのように装っているのですが、

何故かいや~な気分になりました。

その後も時々メールを送って来て、それを読む度に眠れなくなったり、

自信を喪失するような気分になり、心がざわつくようになりました。

ある時は前向きなことを書いて来るのですが、

次の時はそれをくつ返すようなことを書いてきたりしました。

「この人は自分を翻弄して楽しんでいるな」

神様の清い霊を持つ人は、人の徳を立て上げたいと思うはずであって、

人を引きずり落としたいとは決して思わないはずです。

その人のこのような心の態度を見て、その人が

自分のことをクリスチャンとカテゴライズしていることが、ますます信じられなくなりました。

もしくは神の霊と悪い霊を行ったり来たりしているのか。

しまいにメールの着信音がする度にびくっとするような、すっかり気の小さい人になってしまいました。

そんなある日、共に祈ってもらっていた叔母が、その人が私の所から離れるといって

手紙を送ってきた夢を見たよと言ってきました。

それを聞いて、ああ、きっと正夢になるなと思いました。

神様は私の魂の苦しみをご存知だろうと思っていたからです。

(つづく)