YOU TUBEで聞けるジェス・ラヴェイ氏の証(1~8まであります)
この天使のようなボーイ・ソプラノの声のせいで、ジェス氏は子供じゃないか、
偽物じゃないかと言われることもあるみたいですが、
その原因は父親が彼を12歳の時に去勢したことにあるようです。
ガミガミがなり立てる司会者の声と対照的に、魂の地獄を経験したはずの
ジェスさんの声を聞いていると、何故かこちらの魂も癒される心地がしてきます。
下の記事はYOU TUBEのインタビューとは別のものです。
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オカルトに手を出すことの危険性についてジェス・ラヴェイ氏が教会で語る。
サタンのもとに多くの人々を導いてきた人間の息子は、今や人々をイエス・キリストのもとに導いている。
しかしそれはアンソニー・ラヴェイ氏にとって長く険しい道であり、それゆえ彼は自分の名前を、彼の父、故アントン・ラヴェイと比較されることから逃れるために、ジェス・ラヴェイと変えたのであった。アントン・ラヴェイは世界的なサタン教会の創設者である。
15歳の時、アンソニー・ラヴェイは自分の服をトラックに積み込み、彼の悪名高き父の家から去って行った。
「父は私をひっつかまえ、地面に放り投げた。金切り声を上げながら鞭で私を打った。」
息子のラヴェイ氏は思い出す。
「全くいきなり彼の銃がポケットから転がり落ちたんだ。」
「私は転がっていってそれを拾い上げ、父のトラックのタイヤを撃ち始めたんだ。私は起き上がって、自分のトラックまで走って行き、叫ぶ父を後にして走り去った。私の体は鞭の跡で覆われ、着ているものは破れ、血だらけだった。」
その出来事は、ラヴェイ氏のぐちゃぐちゃで、苦悩に満ちた、ずたずたに切り裂かれた子供時代の典型的なものであった。33歳になった今日(2002年の時点)では、彼はカリフォルニアのユーカイパのジェス・ラヴェイ牧師であり、そこでは彼の健康が許す限り牧会を行っている。
彼は聖霊が彼の人生に驚くべき勝利をもたらしてくれたと言う。しかし、未だに彼の父から負わされた長引く儀式的虐待から受けた、感情的、肉体的傷を負っていると付け加える。彼は11歳か12歳の頃、父が金てこで彼を打ち、それから彼を去勢したのだとはっきりと言った。
「彼は本当に怒っていた。何故なら自分が願っていることを私にさせることができなかったからだった。」
ラヴェイ氏は言う。
彼の父は、最終的に彼にサタン教会を導かせようとしていた。1960年代と1970年代のポップアイコンであるアントン・ラヴェイは、カリフォルニアのサンフランシスコとハリウッドの教会に、5万人と言われる会員を持っていた。
1966年4月30日のブラックサバスの日に、彼はサタンの時代の到来を宣言した。2年後のクリスマスイブに、東ベルリンにあるサタニストの母教会内において、ジェスは生まれた。
彼は人生の初期のほとんどを寄宿学校で過ごしたが、ラヴェイは彼を連れ去り、訪問と称して家に行かせることを主張した。そこで彼の父は繰り返し彼をレイプし、儀式に参加するよう強制した。
「父は風変わりな病んだ人だった。」
と彼は言う。
14歳の時、カリフォルニアのヴィンヤードの教会に連絡を取ったが、そこで悪魔的な力から解放されたのであった。
「私はまるで大きな山が自分から取り除かれたように感じた。そしてすっかり消耗していた。」
と彼は言う。
「だが平安があった。」
ラヴェイは後にカリフォルニアのヘメットという田舎町にある、小さなインディアンの聖書大学を卒業し、「霊の剣ミニストリー」を創設した。彼はクリスチャンのラジオ番組や教会にしょっちゅうゲストとして招かれ、オカルトに手を出すことは危険であると語っている。
彼は1997年に行われた父の葬儀に参列するのを拒否した。今日彼は自分の父親の写真を可動式の家の後ろにある納戸にしまってある。何故なら悪霊の影響を自分の家に持ち込みたくないからだ。
(おわり)
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