天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「神様によって人生ぐちゃぐちゃにされました」

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5月11日、地震大丈夫でしたね。

その代わりに今日来たのか?(宮城県沖で震度5

取り合えず惨事にならずに良かったです。

地震に備えて食糧備蓄していたら、母親に「あんた何やってんの」と言われました。

ところで皆さん、ここ何日かの体調は大丈夫だったでしょうか。

私はずっと一週間位おかしかったです。

一番ひどい時には、頭に見えないヘルメットかぶっているような感覚に陥りました。

いつも霊、霊といって、霊的なものに注目する癖がついてしまっているので、

あかんなと思うのですが、それが霊的な作用から来ているのか、

ただ単に女性特有の生理現象から来ているのか、

はたまた大自然の変化から来る影響なのか判断つきかねますが、

とにかく頭がボーっとしてはっきりしなく、ひどく妙な気分でした。

どなたか同じような感覚を持たれた方いますでしょうか?

昨日台風が一過しましたが、台風の時も体が重くなりますよね?

低気圧が過ぎると頭が痛くなる人もいますよね。

ところで、昔はクリスチャンになると毎日が幸せで、バラ色の人生が目の前に広がっているのかな、

と考えていたこともあったけど、霊の目が開かれると(と一部そう思っている)

余計なものが見えてくるので、辛さが一層増すようになりました。

「なんじゃこりゃー!」

と転げ回りながら生きていると、少し落ち着いてきますが、

無理やり境地を高くしないと、気が狂うというか、

神様にしがみついてないと振り落とされるな、という危うい所があります。

知識階級の人は、ある意味さらっとした「キリスト教的な」上澄みだけを

好んで満足している人も多いと思いますが、実はそんな甘いもんじゃなく、

神様の教えはもっと壮絶で、生きるか死ぬかの選択を迫られるよな、とつくづく思います。

「十字架を負う」という教えは崇高過ぎて、自分にはできないよな、

これは勘弁してもらおうっと、と心で囁くと、何故か神様かサタンはそれを聞いているようで、

自分の意志とは反対の歯車が回転し始めます。

人はこう言うかもしれません。

「私は夫によって人生ぐちゃぐちゃにされました」

「私は人に騙されて人生ぐちゃぐちゃにされました」

自分の場合は

「私は神様によって人生ぐちゃぐちゃにされました」

神様は人格を整えるため、粘土のように人をこね回されるという聖書の言葉を痛感します。

なので最近は、こうして神様神様と言いながら、

結局転げまわって死んでいくのかなと半ばあきらめています。

といってもどよーんとした暗さはなく、神様の大きな御手に抱かれて、

その中で転げまわっているような、そんな感覚です。

職場の最強のおばちゃんとは、友情みたいなものまで生まれてきて、

まるで夢のような展開になってきました。

お互い普通に目を見て話せることが、どんなに貴重なことか。

祈りにより自分の心が変えられたのか、神様がおばちゃんの心を変えて下さったのかは分かりません。

いずれにせよ感謝なことです。

ですが、最近はもう一人の若い同僚(宗教嫌いである)の方が、

もっと手ごわい相手だと気づいてしまいました。

どうも自分は霊媒体質みたいなので、人の気を吸収してしまうような所があるのですが、

早くもじわじわ来てますよ。彼女の悪い気(失礼!)の影響を受けつつあります。

職場環境が悪くて、席が異様に近いので、お互いもっと離れる必要があるよなと

思っているのですが、どうにも身動きが取れません。

こうなると何らかの結界を張って、自分の身を防ぐしかありません。(笑)

話を聞けば彼女は小学生の低学年の頃、父親に理不尽に殴られていたといいます。

父親が恐すぎたので、反抗期というものも自覚せず来てしまったと言っていました。

彼女の内なるゆがみというか、ひねたものがあるのは、それが原因かと思いました。

またもや職場に行く通勤バスの中で、苦悩の祈りが始まりました。