天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

天使のような人(1)

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私がボランティアで行っている施設の主催者は、前にも書いたとおり

カトリックの修道士さん(Kさん)なのです。

その彼と最近になって、ようやく話らしい話ができるようになってきました。

今の教会に行き始めて、2度目の礼拝の時に彼と初めて会ったのですが、

その時、「なんて素敵な声の持ち主なんだろう!」と思ったのと、

この人には神様の霊が強く宿っていると感じたのでした。

ひどく怒っている人も、一たび彼のやさしい声を聞くと、

きっとふにゃふにゃになってしまうんじゃないか、と思わされるような、

真綿のように、柔らかくて静かな声なんです。

私はもういつ「Kさんの声が好きなんです」

と告白してやろうかと思っています(笑)

エス様の声も、きっとずっと聞いていたい不思議な魅力を持つ声だったに違いないと、

Kさんの声を聞いていていつも思います。

彼の声と、神様の霊が宿っているという、この二つがあって、

Kさんのところに行けば悪いことは何も起こらない、と

和歌山に来たばかりでも、すぐにKさんのホームでお手伝いすることに決めたのでした。

ある時、彼と身近に働いている女性の同僚が、

「Kさんのあの目見た?!」

と私に報告してきました。

ホームに住んでいる、ある男の子の身を心配しているときのKさんの眼差しは、

深い憐れみを湛えていて、心の底から心配しているということが、

周りの人の目から見てもはっきりと分かる位でした。

「この人は決して怒ったりしないんだろうなあ。」

と思うのですが、そのやさしさは、別の女性スタッフから、

「Kさん優しすぎて時々イライラする」

「怒らないで、本人が気づくまでずっと待っている」

と言われるほどなんです。

宗教家にありがちな(?)ガッチガチな気配はまるでなく、

面白いことが好きで、よく笑わせるようなことを言っては、

周りの人を楽しませています。

これってまるで天使みたいではないですか?

感情がとてもはっきりしていて、喜怒哀楽の「怒」だけが抜け落ちているみたいな感じです。

感情を押さえつけることなく、すくすくと育ってきた子供のようで、

Kさんが喜んでいるとき、悲しんでいるとき、焦っているとき、はっきりとその表情に見て取れます。

前に働いていた会社の社長やフランス人の同僚も、かなり顔に感情が出る人だったのですが、

今までの人生で、KさんがダントツでNo.1です。

感情の起伏がはっきりしている一方、放たれる声は波立つことのない穏やかな水面のようで、

その二つの対比がどうしてそうなるのか、いつも不思議に思います。

Kさんのくるくる変わる表情を見ていると、豊かな内面を見せられているようで、

面白いのを通り越して、うらやましくなってきます。

Kさんは高校生の時、マザーテレサの本を読んで、「この人と一緒に働きたい」と思ったそうです。

それから手話をやったり、体の弱い人のために働いたりして、

福祉の世界などで経験を積んでいったようです。

Kさんにはイエス様から、弱い人々と一緒に暮らす、

という強いビジョンが与えられているようです。

(つづく)