天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

THE FORCE (アルベルト・リベラのシリーズより)(15)

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           「パックス・クリストゥス(又はクリスティ)=キリストの平和」のシンボル

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リベラ:「7体の小さな赤ん坊だったんだ。それぞれ頭に3つの十字架が刻まれていた。一つの十字架が手の平と足の裏に、胸には2つの大きな十字架が刻まれていた。彼らの心臓は無くなっていた。その十字架はこのようだった(XにPの文字が組み合わされた記号※上の画像参照)。それが意味するのはキリストの平和だ。私はとても恐ろしくなり、口がきけなくなった。」

これを見た男子は恐ろしい過ちを犯した。彼は13歳になる妹に自分の見たことを話したが、彼女は修道院の学校に通っていた。彼女は告解に行き、自分の司祭にそのことを話した。

そのことがあってから間もなく、両耳と舌が切られ無くなった状態で彼女の死体が見つかった。

尼僧:「聖なる神の母よ・・・ご覧なさい!」
司祭:「なんと恐ろしい!」

同じ時期に私の友人もミステリアスにも失踪してしまい、彼を二度と見ることはなかった。

リベラ:「私がその少女に何が起こったかを聞いたとき、身の毛がよだった。XとPを組み合わせた記号が彼女の胸に刻まれ、心臓がなくなっていたというのだ。私は恐ろしさで具合が悪くなった。私も死にかかっていたのだ。」

リベラ:「ちょうど昔セミラミスに生贄に捧げられていたように、これらの赤ん坊はマリアに捧げられたものだ。犠牲となった者の体に刻まれた十字架は、『キリストの平和』あるいは『パックス・クリストゥス』と呼ばれている。イエズス会はこの十字架を、マリア崇拝のための洗練されたサタン的シンボルに変えたのだ。」

リベラ:「ティム、マリアは十字架のイエスと同じように苦しんで、そのあまり彼女の心臓は引き裂かれたというカトリックの教えがあるだろう。マリアと同じ気持ちになるため、カトリック教徒はあるものを捧げなければならない。彼はキリストの平和を獲得するためにマリアのために苦しまなければならないというのだ。」

リベラ:「もし尼僧が司祭の赤ん坊を孕んで死にそうになっているとしたら、彼女がマリアのために苦しむことができるよう、医療は控えられる。そして必要とされるなら彼女はマリアのために死ぬ。」

リベラ:「その赤ん坊はたいてい犠牲に捧げられる前までに洗礼を施される。多くの場合、彼らはできる限り苦しむことができるよう、痛めつけられる。イエズス会では犠牲がなければ平和はあり得ないと教えている。またマリアに犠牲を捧げることなしにキリストとの平和もあり得ないとしている。マリアはその苦しむ人をイエスをなだめるため、彼女の息子のもとに運ぼうとしているのだ。それがXとPで組み合わされた記号の意味するものだ。」

この教えは聖書では見られない。それはオカルト的な教えである。今日のローマカトリックのマリアはあのセミラミス以外の何者でもない。

(つづく)

原文はこちら↓
おどろおどろしい表紙の「THE FORCE」からです。
http://truthbydefault.com/downloads/reading-material/