第4章 イエズス会の終末論とアメリカの説教壇
終末論とは、ギリシャ語で最後を意味するESCHATO(エスカトス)に由来する、最後の事柄に関する教えである。通常、系統神学では最後に学ぶものだ。しかし、イエズス会の終末論が、北米のプロテスタントや非カトリックの教師たちに大きな影響を与えているため、今回この教えを取り上げることにした。今、非カトリックという言葉を使うのは、プロテスタントがあまりにも少なくなってしまったからだ。プロテスタント終末論の終焉とともに、終末論の分野はイエズス会によって支配されるようになった。
マラキ・マーチンは、イエズス会が歓迎されない場所にも、地下でも、変装して、どこにでも行ったと語っている。ということは、イエズス会がプロテスタントの教師として変装し、プロテスタントの学校に潜入したというのは、決して遠い話ではない。確かにイエズス会の教えは、今日のプロテスタント学界に広く浸透している。
例えば、ディスペンセーション派の作家であるクラレンス・ラーキンは、イエズス会の終末論が、最初はローマ・カトリック教徒にのみ支持されていたが、その後、プロテスタントの間で見事に復活したことを語っている。
現在の形(つまり未来派)では、16世紀末にイエズス会士(フランシスコ)リベラが発祥だと言える。彼はイエズス会士(ルイス)アルカサールと同じ動機で、「反キリスト」と呼ばれる汚名を教皇庁から払おうとし、黙示録の預言を遠い未来に言及しようとした。この見解は、ローマ・カトリック教会に受け入れられ、長い間それに縛られていたが、驚くべきことに、19世紀の初めから、それもプロテスタント達の間で、見事に復活したのである。
ラーキンの発言に関して、ここで3つのことを指摘する必要がある。
1.ローマ・カトリック教会は、改革派やピューリタンの多くがつけた、「ローマ教皇庁は反キリストである」という汚名を払拭しようとしたのである。
2.イエズス会の学者たちは、反キリストを未来に先送りすることでこれを実現した。これはイエズス会のフランシスコ・リベラによって行われたもので、あるいは反キリストを1世紀だけ遡らせることによって行われた。これはイエズス会のルイス・アルカサールによって行われた。
3. 19世紀初頭のリベラの反キリストの素晴らしい復活は、3人目のイエズス会士、エマニュエル・ラクンサによってもたらされた。
ラーキンは、「罪の人」に関するプロテスタント改革派の立場について、簡単に触れている。彼は次のように記している、
彼らは、「反キリスト」は「人」ではなく「システム」であり、大淫婦のローマ教会に代表されると主張している。この学派には、非常に有能で独創的な擁護者がいる。この見解は初代教会には知られていなかったが、宗教改革の先駆者や指導者たちによって採用され、ローマ教皇に適用された・・・。ローマ教皇を反キリストの勢力について預言されていたすべてのものを網羅したものとみなすため、しばしばプロテスタント解釈と呼ばれている。この解釈は、宗教改革の指導者たちが手にした強力で手強い武器であり、その真実性の確信が、彼らを "死に至るまで自分の命を愛さない"ように駆り立てた。それが、16世紀の殉教者のヒロイズムの秘密であった。
ラーキンは、この見解が初代教会には知られていなかったと言及している。これは事実である。改革派の中には、初代教会がすでに、後に教皇庁として知られるようになったものの種子の多くに蹂躙されていたと指摘する者もいる。真の福音は多くの教会で非常に早くから失われていたのだ。ガラテヤの人々は、パウロが彼らに手紙を書いたとき、すでに福音を曲げる危険にさらされていたのである。
改革派と清教徒は、罪の人を王国や帝国として設定した。後で詳しく見るように、彼らには確かに預言者ダニエルの言葉があり、彼らが信じていたことを裏付けていた。一方、「罪の人」を一人の人間だと主張する人々は、聖書の明確な教えに反対しなければならなくなる。
(つづく)
Jesuit Eschatology and the American Pulpit – James Japan (jamesjpn.net) よりDeepLで訳しています。
(参考:こちらもお読みください。イエズス会による「艱難前携挙説」の工作が詳しく説明されています。黙示録の階層の詳し目の説明(8))