天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

炎のおばちゃん(4)

付き合いが長くなってくると、最初はただの怖いおばちゃんだったのが、

よく観察してみると、素晴らしい部分がどんどん見え出してきました。

おばちゃんは自分のマンションの近くの部屋が家事になった時、

自分の飼い犬のことが心配なあまり、ボウボウと燃えている火の中に

「○○○○!○○○○!」

と名前を叫んで、人が制止するにも関わらず、突っ込んで行こうとしたそうです。

結局大丈夫だったらしいのですが。

おばちゃんはそういう熱き魂を持っているのです。

また、おばちゃんは洞察力がすごいということが分かりました。(思い込みもすごいが。)

常に物事を色々な角度から眺めているということが分かりました。

また、いつも豊かな経験の引き出しの中から、さっと仕事上どうしたらよいか

的確な道筋を教えてくれるということも知りました。

なので、おばちゃんの指示をよく聞いて行うと、ボアーとしている自分でも、

最少のミスで仕事を運ぶことができました。

おばちゃんは伊達に30年もの歳月、生き馬の目を抜くような障害者福祉の世界で

生きて来た訳じゃないんだと、そのすごさがじわじわと分かってきました。

またおばちゃんは職人気質で、自分の創作物に並々ならぬ力を注ぎます。

そうして作り出された物は、素晴らしく完成度の高いものなのです。

料理にせよ、クラフト製品にせよ。

きっとおばちゃんにかかれば、中途半端にやっている人は

すぐに見抜かれてしまうことでしょう。

自分がおばちゃんにまともに取り合ってもらえなかった理由は、

きっとこういうことにあるのだと納得しました。

そうすると、おばちゃんに対して怖いというよりも、

むしろ尊敬の気持ちの方が増していきました。

また、こちらが礼を尽くせばおばちゃんは敵ではない、

むしろ相談するととても親身に答えてくれ(ただし忙しくない時に限る)、

積極的なコミュニケーションを求めているのだ、ということ等も分かってきました。

そうなると、人目を気にせず、全力で物事に当たるおばちゃんが

だんだんと格好良く見えてきました。

おばちゃんには何よりも、自分のやっていることに

全力を注いで当たるということを習ったように思います。

おばちゃんの笑いのセンスは天才的で、話をなんでもかんでも笑えるように

してしまう才能があることもわかりました。

うちの職場では喫茶店もやっているのですが、おばちゃんの固定的なファンがいるのです。

頭の回転の速さと、苦労人としての滲み出す味に、きっと引きつけられるのでしょう。

おばちゃんの最大の敵である、会社の経営者をなぜそんなに目の敵にするのか、

ということも見えてきました。

会社の一番上にいる人は、表面的にはさっぱりとしたいい人のように見えても、

ずっと家庭の主婦をしてきた人であり、現場経験が極端に少なく、

下で働く人の気持ちをないがしろにするようなやり方を、

気づかずにしているということも見えてきました。

それがおばちゃんを激怒させているということも分かりました。

何でもかんでも腹立たしいのではなく、意味があって怒っていたのです。

女の身でありながら、こんな小さな会社で身を粉にして働いてきたおばちゃんは、

悲しい思いをいっぱいしてきたのです。

歯ぎしりするまでに怒りをこらえてきたのです。(大噴火することもあるが。)

おばちゃんと同じ経験をすることによって、初めてそれが分かりました。

おばちゃんが時々悪魔に変貌するのも致し方ないと思えてきました。

おばちゃんは素晴らしい所をたくさん持っているにもかかわらず、

とても残念なことに、トータルして魂にもやがかかっているように見えるのです。

目に光がなく、存在が暗い影に包まれている印象があるのです。

その原因はやはり心の使い方によるのだと思います。

感謝するよりも恨む。穿ったものの見方をしてしまう。

人の悪いところを上げ連ねる。

これらのような心の癖が、積もり積もっておばちゃんのせっかくの美点に

覆いかぶさってしまい、存在を曇らせてしまっているように思われます。

おばちゃんの美点に注目していると、中途半端な自分なんかより

よっぽど素晴らしいと思えてくるので、もったいないことです。

それこそおばちゃんの悪霊化は進んでいるように思えてならないのですが、

発想の大転換がなされない限り、それをストップさせるのは不可能でしょう。

聖書的に言えば、気づいた人がその魂のために祈っていく必要があるのでしょうか。

いや、あるに違いない。。。

(おわり)