天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

神の霊を持たない人

イメージ 1
北野天満宮狛犬 その4)

「あなた方は乾いて骨のようである」


職場に不平不満の多い人がいるのですが、

今日その人が「希望がない」と言って暗い顔をしていました。

この方は頭が良くて、ミスを事前に防ぐとか、先を読みながら、

仕事を注意深くこなすことに長けています。

見切り発車な早とちりの自分とは違い、感心する所が多くあります。

ですが、人間の目を必要以上に気にしており、自分で自分のことを

がんじがらめに縛っているようにも見え、自分でもそれが窮屈だとこぼしています。

物事の暗い面ばかり考えていると、本当に自分の内側も暗くなってしまいます。

その目には余裕がなく、光も感じられません。

神様が見守る大きな海原の中で、自分のやっていることは、

魂の成長のためなのだ、と思えば気持ちが楽になるのになあと思います。

人間にとって、何よりもまず優先しなければならないのが、神様の霊を頂くことだと思います。

自分が求めさえすれば、何の代価もなく、神様の霊がもたらす

心の明るさや、平安とか喜びとか希望が与えられます。

ただで与えられるのならば、こんないいことはありません。

これは自らがやってみて、始めて「本当にその通りだった」と言えることです。

宗教家が押し付けたり、人に言われたからやるんじゃありません。

「物」は神様の被造物なので、いくら豊かに持ったとしても、人間の心を満たすことはありません。

物質そのものを作った創造主に向かって、心を満たすものを、無尽蔵の蔵から頂けばよいのです。

なーんて書いていますが、自分もすぐ枯渇してしまうので、

毎日神様の蔵から汲み出そうとしているんですけど。

日本人はとても倫理観が発達していて、誠実な人が多いと感じます。

古代イスラエル人の血を引いているせいでしょうか。

だけど、大きく欠如しているものがあります。

狭い人間同士の世界で、いつもきゅうきゅうとしていて、

スコーンと飛び抜けた、神様の目線を持つ人が少ないと感じます。

神様の霊を持たない人間を、聖書では「枯れた骨」と表現しています。

神様の目から見て、生きているようで霊的には死んでいる、

そのような人が日本には多くいると感じてしまうのです。

-------------------------------------------------------------------
渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。

なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、

腹を満たさない物のために労するのか。

わたしに聞き従い、良い物を食べよ。

耳を傾け、わたしのところに出て来い。

聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。

(イザヤ55:1-3より)