「あなた方は乾いて骨のようである」
職場に不平不満の多い人がいるのですが、
今日その人が「希望がない」と言って暗い顔をしていました。
この方は頭が良くて、ミスを事前に防ぐとか、先を読みながら、
仕事を注意深くこなすことに長けています。
見切り発車な早とちりの自分とは違い、感心する所が多くあります。
ですが、人間の目を必要以上に気にしており、自分で自分のことを
がんじがらめに縛っているようにも見え、自分でもそれが窮屈だとこぼしています。
物事の暗い面ばかり考えていると、本当に自分の内側も暗くなってしまいます。
その目には余裕がなく、光も感じられません。
神様が見守る大きな海原の中で、自分のやっていることは、
魂の成長のためなのだ、と思えば気持ちが楽になるのになあと思います。
人間にとって、何よりもまず優先しなければならないのが、神様の霊を頂くことだと思います。
自分が求めさえすれば、何の代価もなく、神様の霊がもたらす
心の明るさや、平安とか喜びとか希望が与えられます。
ただで与えられるのならば、こんないいことはありません。
これは自らがやってみて、始めて「本当にその通りだった」と言えることです。
宗教家が押し付けたり、人に言われたからやるんじゃありません。
「物」は神様の被造物なので、いくら豊かに持ったとしても、人間の心を満たすことはありません。
物質そのものを作った創造主に向かって、心を満たすものを、無尽蔵の蔵から頂けばよいのです。
なーんて書いていますが、自分もすぐ枯渇してしまうので、
毎日神様の蔵から汲み出そうとしているんですけど。
日本人はとても倫理観が発達していて、誠実な人が多いと感じます。
古代イスラエル人の血を引いているせいでしょうか。
だけど、大きく欠如しているものがあります。
狭い人間同士の世界で、いつもきゅうきゅうとしていて、
スコーンと飛び抜けた、神様の目線を持つ人が少ないと感じます。
神様の霊を持たない人間を、聖書では「枯れた骨」と表現しています。
神様の目から見て、生きているようで霊的には死んでいる、
そのような人が日本には多くいると感じてしまうのです。
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渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。
なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、
腹を満たさない物のために労するのか。
わたしに聞き従い、良い物を食べよ。
耳を傾け、わたしのところに出て来い。
聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。
(イザヤ55:1-3より)