もちろん、まさに名詞形の同じ言葉も旧約聖書のギリシャ語訳で使われている。
「わたしは、ユダの町々とエルサレムのちまたから、
楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声を絶やす。
この国は廃墟(エレーモースン)となるからである。」(エレミヤ7:34)
「しかし、もしこのことばを聞かなければ、わたしは自分にかけて誓うが、
―主の御告げ。―この家は必ず廃墟(エレーモースン)となる。」(エレミヤ22:5)
最初の神殿の破壊、すなわちソロモンの神殿とその周辺の場所が、荒廃(エレーモースン)する。
バビロンの破壊はとりわけ聖書で預言されており、断定的に言及されている。
なぜなら聖ペテロがいる場所はバビロンであり、その場所は神の神殿がある場所だからでもある。
黙示録の大淫婦バビロンに関する預言は、神の神殿とヴァチカンが、
大いなる背教の時代に、反キリストである異教の教皇によって乗っ取られるということを扱っている。
また、そこではその富の様子(美的な側面とその他の富について描いており、
聖ペテロ大聖堂によく当てはまる)についてふれることで、注意を促している。
さあ、この点に置いて我々は反対意見を論破しなければならない。
バビロンの場所は聖ペテロのバシリカと同じであるという、圧倒的な驚くべき証拠にも関わらず、
この問題に関してある人々は混乱している。
彼らはローマのヴァチカン市はバビロンという偉大な都市であり得ないという論点でもって反対する。
なぜなら、黙示録はバビロンの崩壊を嘆く人々について、このように描いているからである。
「・・・すべての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たちも、遠く離れて立っていて、
彼女が焼かれる煙を見て、叫んで言いました。『このすばらしい都のような所がほかにあろうか。』」
(黙示録18:17-18)
それゆえ彼らによれば、バビロンは大きな港のある街でなければならない。
しかし、この反対意見は黙示録18:15のバビロンの売春婦を描くことによって覆される。
「御使いはまた私に言った。「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、
もろもろの民族、群衆、国民、国語です。」
それゆえ黙示録は、我々に直接的に、バビロンの売春婦が座っている場所が、
文字通りの海ではなく、終末の背教時にバビロンが主人役となる民族や国々を
象徴していることを知らせてくれている。
The Exact Location Of The End-Times Temple Of God からの訳です
https://www.youtube.com/watch?v=Xr99qZhH7ec